モザイクの効能
モザイクは素晴らしい。
それは見えないから。
見えないからこそのエロティシズム。
パンチラに通ずるものがございます。
無修正なんぞは真のエロティシズムではないのです。
全て見えることはエロティシズムではないのです。
裸体にエロティシズムはございません。
それは単なる裸でしかないのです。
見えない秘密がある、それこそがエロティシズムの根源なのでございます。
性器自体は卑猥じゃございません。
その性器を持つ人間にエロティシズムを感じ取るのです。
よく性器だけをアップで映しているAVがございますが、あれは真のエロティシズムを理解しているとはいえない。
性器自体は誰もが持っているもの。
本当のエロティシズムとは、その性器と性器にまつわる人間が混じり合ったところにあるのです。
人はなぜセックスをする時に部屋を薄暗くするのでしょうか。
そうです、そこにエロティシズムが隠されているのです。
薄暗さはモザイクです。
あなたに見えざる部分をつくりだします。
そのエロティシズムに彼が興奮するのです。
ですから明るいところで開けっぴろげにやるセックスには情緒がございません。
全てが丸見え。
エロティシズムのかけらもありゃしない。
唯一、そこにエロティシズムを見出すとすれば、それは公共性です。
公共とセックスという、本来、相対する存在が交わり合う時、そこに興奮を覚える者がございます。
そういう人間を露出狂と言います。
世の中には露出癖を持つ人間もいるのです。
かつて、街中に止めたダンプの荷台でセックスをするというアダルトビデオがございました。
トラックは背が高いですし、荷台も深かった為、そこでセックスをしていても、歩行者からは見えなかったようです。
しかし近隣のビルの上層階からは丸見えだった為、通報されて何とやらと聞いたことがありますが、しかし私はそれを聞いた時に「やった!」と思いました。
通報されたことに対してではありません。
性と公共性という、本来の社会常識から逸脱した、本来は決して交わることのない存在を交わらせたという行為に、胸が高鳴ったのです。
常識と照らし合わせれば、それはキチガイであったでしょう。
しかし性と公共性という対極のものをエロティシズムとして捉えたことに(製作者が意図して捉えたかはわかりませんが)、私は諸手を挙げて称賛いたしました。
さて、私はかように思うわけでありますが、しかしたまには無修正も観たくなる。
いえ、これは大きな声では決して言えませんが、私は専ら無修正を眺めたい。
先程のエロティシズムはどこへやら。
所詮、私のエロティシズムの考え如きは、そんな程度のものなのです。
そしてそれが性欲というものの恐ろしさなのでございます。
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