頭が良すぎること 安楽椅子の探偵
頭が良すぎるのも考えものです。
それは全て頭の中で解決してしまい、行動する必要がなくなるからです。
安楽椅子の探偵がそのいい例です。
彼は部屋に篭って、全て頭の中で推理をし、事件を解決する。
一見すると素晴らしいことです。
実に合理的。
しかしそこに行動はありません。
果たして行動がない人間は健全でしょうか。
否、それは非常な苦痛を伴う場合がある。
頭の中で全て解決できるということは、良いも悪いも全ての結論が導き出されるということ。
特に人間は悪いことの方が印象に残ります。
これは苦痛であります。
そして「全ての結論」と書きましたが、実際のところ、人間は完璧ではありません。
必ず行動してから初めて気付くこともあるでしょう。
プログラムさえすれば万能であるはずの機械でさえ、不具合で止まったりします。
機械ですらそうなのですから、人間に至っては言わずもがなであります。
人間の脳内で全て解決できるというのは傲りであります。
人間には穴があります。
それを発見できるのは、唯一行動なのです。
例えばあなたに道のどこに犬の糞があるか、頭の中で予想できるでしょうか。
「あの道には1日に犬が◯匹散歩していて、よくあの電柱でおしっこをしているのを見るから、おそらくそこに糞があるだろう。」。
でも実際に道を歩けばそこかしこに犬の糞があるかもしれません。
それは犬の動きは機械じゃないから。
一定ではないからです。
プログラムされた機械でない限り、行動は不規則なのです。
その不規則を発見できるのは行動のみなのです。
だから行動は尊く価値があるのです。
何事もすぐに否定して、マイナス面ばかりをあげつらって行動しない人がいます。
それはリスクヘッジという意味では優秀かもしれません。
しかしそれは本当に楽しいことなのでしょうか。
間違いはないのでしょうか。
外に出て外の世界をその目で実際に見る。
そして体感する。
その匂い、景色、全てを全身で受け止める。
行動は頭にはない価値を持っています。
#頭 #行動 #リスクヘッジ #安楽椅子 #探偵 #解決 #日記 #コラム #エッセイ #外 #価値 #傲り #昂り #合理的 #エアーマン #ノート