契約書

なぜ契約書はあるのか。
それは人が必ず約束を反故するという前提があるからに他なりません。
性悪説。
人の根本はそこにあるという前提が、契約書を産み出したのです。
本来、人と人同士が約束を違えることがなければ、それは産まれてこなかったでしょう。
しかし、土台それは無理な話でございます。
人には欲求がございます。
動物にすら縄張り意識という欲求があるというのに、人間の欲求がそれを下回ることが考えられるでしょうか。
否、それは有り得ない。
人間の欲求とは「損得感情」でございます。
愛だけは別だとお考えの方もございましょうが、特に現代においてそれは希薄でございます。
やれ食事は割り勘だ、やれここまで付き合ったんだからやらせろなどと、皆、それぞれ好き勝手に主張を繰り広げるのでございます。
契約書は大金が絡むことに付き纏います。
不動産、車。
それは「買う」という約束を反古されたら困るからです。
そして売る側は客が約束を反故することを前提に契約書を作成し、契約に臨んでいるのです。
法律だって同じです。
人が罪を犯すことを前提に、法律というもので秩序を管理しているのです。
人の本性はとうの昔に暴かれているのです。
ですから現代社会において契約書は必須なのです。

女「ねぇねぇ、今度さ、旅行に行かない?」
男「おっ、いいねぇ。じゃ君の好きな北海道にでも行こうか。」
女「わぁ!嬉しい!楽しみだわ!」
.....
男「はい、え〜、そうしましたらですね、まずはこちらのご契約内容をお読みいただきまして、よろしければ最後にご署名ご捺印をよろしくお願い致します。」

そうです。
昨今ではデートにすら契約書が付き纏うのです。
割り勘の金を払わない、時間に遅刻する、もっと酷いのになると約束自体をすっぽかす、ホテルの予約はなぜ俺なのか、飛行機の手配だって俺だ、デートに来ていく洋服代が高くて困ったわ、あ、そうだわ、旅行用のバッグだって買わなきゃいけない...

こうして旅行ひとつとっても様々な人の損得感情が働くのです。
そして人がわだかまりを持つのは、こうしたことがはっきりとしていないからなのでございます。
だから旅行先でいざこざが起きるのです。

女「ねぇ、荷物重いし、疲れたんだけど。」
男「仕方ねぇなぁ、じゃ持ってやるよ。ったく。」

これも当人同士で契約を交わしていないからこそのトラブルなのです。
契約の中に「男性は女性のバッグを相手方から依頼のある前に自ら持つことを約束します。」
こう書いてあれば何もトラブルにならなかったのです。
トラブルになっても、女性は契約書を盾に男性に抗議できたのです。
そして契約の中に違約金について記載をしていれば尚良しです。
人は金のことに一番弱いからです。
金をチラつかせれば人は容易に屈します。
どんな聖人であってもです。
この世は全て契約の管理社会でございます。
今、あなたが見つめているそのスマホだって、契約の上に成り立った産物なのです。
お金を払わなければ使えなくなるのです。
しかしそれに抗っても無駄なことです。
契約社会は既に成就していること、そしてそれを否定することは、人間を性善であると認めることになるからです。
あなたが日常に何の不満もないならば、契約は不要でしょう。
しかし少しでも世の中に不満を感じるのならば、それは人が性悪であり、あなたは契約の管理社会を欲していることに他なりません。

さて、担当者が私の元に来たようです。
「先生!今、書いてもらっている原稿ですけど、約束通り今日中に仕上げてもらわないと困りますよ!」
「はい!すいません!もう書き終わります!」

全く世知辛い世の中です。

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ごめんなさいね〜サポートなんかしていただいちゃって〜。恐縮だわぁ〜。