建設現場でがんばる若いゼネコンマンへ 〜その9〜
【一級建築士と1級建築施工管理技士】
僕は一級建築士と1級建築施工管理技士の資格を取得しています。
この2つの資格は、いずれも大阪のふたつ目の現場にいる時に取りました。
前回、この現場についてお話ししましたが、かなり時間のコントロールが出来る(させて頂ける)現場だったので、しっかり勉強出来る環境を確保出来たのも、合格の要因であったと思います。
そのタイミングで、この現場に配属された運の良さはありますが、やはり担当所長含めた現場の先輩方には感謝です。
ということで、今回はこの2つの資格を取得した時のお話しをしたいと思います。
これもまた『通常とはちょっと違う取れ方だったのでは?』と自分では思っています。
まず、一級建築士ですが、実は4回目でやっと合格出来ました。
当時は大学院も実務経験にカウントされていて、社会人一年目から受験することが出来ました。
会社も一級建築士の取得を奨励していましたので、まあ勉強しなければならない雰囲気ではありました。
なかなか独学での合格は難しいということと、独学なんて自分の意志次第なので、そんなものはもちろん僕には向いていないので、当然のように学校に通いました。
"最初"は総合資格学院に通うことにしました。
一級建築士受験の学校って、当時はこの"総合資格学院"と"日建学院"が2トップでした(今でもそうですかね?)。
何故、総合資格にしたかというと、当時は日建学院のビデオ講義というのが、なんか機械的というか信頼感というか、今思えば単にそのスタイルに馴染みが無かっただけだと思うのですが、"人に教わる安心感"みたいなものが良いと感じたのでしょうね。
結果としては、その年は不合格。
これは、総合資格がどうこうというより、そもそも講義に通えない(通わない)状態でした。
何故なら、月曜から土曜まで仕事でボロボロになって、講義がある日曜は死んだように寝てました。
情け無い限りですが、これが事実。
加えて、講師の講義がまるで入ってこなかった。
人によってテンポや声の大小、伝え方・伝わり方などが違って、とにかく入ってこなかった。
そもそも、"初めまして(一応建築学科出てるので、そんなことは無いはずなんだけど)"のことだらけで、言葉すらよくわからなかった記憶が。
こんな調子がもう1年続き、2年連続不合格。
2年目割引があったものの、結果、数十万が消えていきました・・・。#大出血
3年目は転勤した大阪での挑戦でした。
大阪ひとつ目の現場は、大突貫。
まともに学校に通える訳が無いと思い、建築士会(だったかな?)が主催の短期講座(確か1〜2日)にはいったものの、あえなく撃沈。
こうして、3年連続で学科での不合格となりました。
そして、4年目を迎えます。
その時は、既にご紹介した"マネジメント完璧の現場"でした。
僕は日建学院に入りました。
"安定したビデオ授業(#一年目と言ってることが違う)"と担任制(?)で、しっかり逃げ出さないように管理してくれるとのことで、自分を追い込めると思ったからです。
それと、もうひとつ、とてつもないプレッシャーが掛かっていました。
それは、"子供"です。
実は、大阪転勤直後に結婚しまして、日建学院に入学を決めた直後、子供が出来ていることがわかりました。
妻からは「来年の夏には赤ちゃんがいる。集中して勉強なんか出来ないくらい大変になるかも?それより、子供とゆっくり遊べないじゃん!」と言われました。
『子供の面倒はみたいし、何より遊びたい!』
これはなかなかいいモチベーションになりました。
しかし・・・
全然成績は伸びてきませんでした。
何回か模試があったと思いますが、合格圏内に達したことは遂に一度もありませんでした。
しかも、惜しいことも無く、まあまあのダメっぷりでした。
そんな感じで、本試験(学科)の日を迎えました。
もちろん、最後の模試からも自分なりに努力を重ね、一縷の望みを持って試験会場に向かいました。
ひとつだけ、決めていたことがありました。
それは、
『各科目、最後の一秒まで問題に喰らいつく』
です。
当たり前にも思うと思いますが、試験開始後一定時間が経過すれば、答案を提出して退室することが出来ましたが、途中退室すること無く、最後の最後まで考え抜くと決めていました。
『まあ、こんなものかな?これ以上考えても変わらないな。』と思えば、さっさと退室して、次の科目の勉強した方が有益という考え方もあります。
でも僕は、『例え出来たと思ったとしても、何度も見直して何度も考えて、最後の最後まで向かい合い続ける。それが、全力を出し切ったということだ。』と考えていました。
そして、僕は最後までこれを貫きました。
そして、自分なりに『やり切った』という満足感というか、納得感を感じられたのを覚えています。
そして、その結果、
なんと『合格』しました。
完全に奇跡です。
確かに全力は尽くしましたが、合格点が取れているかなんて、全くわかりませんでした。
本当に"奇跡"です。
こうして、僕は第一関門を突破して、最後の難関"製図試験"に向かうことになりました。
これがまた、学科とくらべものにならないくらい大きな壁でした。
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