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名前

ふと思ったことがある。

人って何に対しても名前をつけがちじゃない?

モノに対してはもちろん、感情といった形のないものにまで。それに…

名前がないとどこか不安になりがちじゃない?

これって何なんだろう?どうしてこうなった?こういうの何て言うんだっけ?
そうやって名前がはっきりしないと色々と不安になってくる。

私はそんな人間の1人だ。何に対しても、こういうのって何て言うんだっけ…そう名前を無意識に求めてしまう。じゃないとどこか不安だから。

私は中学の頃、同性の人に友達ではない不思議な感情を抱いことがある。
学年集会の時その人を初めて見て、心臓がドキッと淡い赤色になるのを感じると共に「うわぁ、かっこいい!」そう思っている自分がいた。
同じクラスじゃなかったし、私の友達にその子と仲がいい人がいたというわけでもなかったから、関わる機会が全くと言っていいほどなかったけど、廊下とかでその人を見れた時は「やった、今日は見れた!」そうどこか嬉しさを感じていた。
でもやっぱり見てるだけじゃなくて、話してみたくて、仲良くなりたくて…
「次こそ同じクラスになりますように…」
そう密かに願っている自分がいつの間にかいた。
そして中学最後のクラス替え。
名簿が配られ見てみると、同じクラスの所に私とその子の名前が載っていた。
すごく嬉しかったのを今でも覚えてる。
それからその子とは友達になれて、お互い名前も知らなかった関係から、名前を呼び合える関係にまでなれた。
でもそこまでの関係でその子とは終わり。
高校も別で今は、何をしているか分からない。
当時は…いや、今もあの気持ちは何だったのか不思議に思う時がある。
恋愛…と言っても当時異性と付き合っていたこともあったし…。
でも付き合ってる事をその子に知られた時は、心の奥底が悲しい暗めの青に少しずつ染まっているのを感じたことを覚えている。
あの感情は…思いは…何だったのだろう。
この思いの正体を当時からずっと知りたかった。

でも最近になってふと、別にこの思いの正体を知らないままでもいいのではないかと思うようになった。
この思い出がどうでも良くなったわけでは決してない。ただふとそう思った。
白黒はっきりしていた方が、グレーな感じよりも安心感が大きいかもしれない。でも名前をつけて、これはこうだと決めつけてしまうと…どこか小さな巾着袋に無理やり当時の色んな感情と思い出を詰め込んだ感があって…寂しさを感じてしまう。
そういった名前をつけることが、別に悪いこととかネガティブなことだとは思わない。
ただ…この思い出に名前を無理につけるにはどこか勿体無いさを感じた。

人は何に対しても名前をつけがちだと思う。

野良猫という名前がない(分からない)猫に対して病気は持ってないか?とか突然不安になったり、よく分からない感情になると、何なんだこの感情は?とか突然不安と混乱に陥ることだってあるだろう。
私にも不安になりたくない気持ちはある。
でもたまには名前のない目の前のものに形をあえて作らず、そのまま受け入れることをしてもいいと私は思う。

でもこの考えは、「こうしろー!」とか「こうするべきだー!」とかいう強制ではなくて…
ただ、ふと私がそう思っただけ。

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