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とあるデジタルネイティブと音楽〜Kraftwerk はレコードで、Bob Dylanはサブスクで聴きたいデジ・アナあべこべ心理〜


最近ちょっとずつ暖かくなってきた気がする。

レコードプレーヤーを手に入れてからはや2ヶ月経ち、気づけば棚には30枚近くLPがひしめいている。自分でもびっくり。

向かう先々でいろんなレコードショップに立ち寄るようになり、中古レコードの市場や相場の感じもなんとなくわかってきた。
「名盤」「希少」「マトリクスが若い」
そのような理由で、高いものは目が飛び出てしまうほど高い。
円安もあって海外流出がそれに拍車をかけてるそうだ。

一方で、個人的には気に入っている楽曲の収録されたアルバムでも破格で売られてるものもあって、そういうのに出会うとちょっと得意な気分になったり。
(松任谷由美の「ボイジャー」、スネークマンショーの「急いで口で吸え」、どちらも個人的に思い入れあるのだけれど、コンディションがめちゃくちゃいいのに数百円で手に入ったのには驚いた。)

ともあれ、ちょっとここで振り返ってみたい。

どんな曲をレコードとして持っていたいか?
そしてどんな曲をデジタルで持ち歩きたいか?

人によって好き好きなんだとは思うが、たとえば

Bob Dylanはサブスクで
Kraftwerk はレコードで

聞きたいと思ってしまう自分がちょっとあべこべに感じたのでそれについて書こうと思う。

デジタル音源はどこへでも伴走してくれる。だからこそ詩を持ち歩きたい。

結局今の世の中を生きている限りスマートフォンと一日を共にしているし、僕らの世代はもうそれが自然なんだと思う。

肌で川辺に吹く風を感じて、目で並木のトンネルを数えながら、スズメの鳴き声とイヤホンのBlowin' In The Windを耳で聴く、
それはもはやとても自然なことだ。

現代を生きる私たちにとって自然で摩擦のないデジタルメディアがあるからこそ、暖かい詩が時代と場所を超えて僕たちの生活の場面と伴走することができている。

Bob Dylan,レコードで買おうとすると価格が高く、なかなか手がでない。
でも僕にとって、Dylanはあえて音質は犠牲にしてでもデジタルでそのを持ち歩きたいと思わせてくれる。

レコードは蓄積を見えるようにしてくれる。思い入れのある音楽こそフィジカルで持ちたい。

なんだかんだで僕たちはテンポが早く忙しい生活になりがちで、結局音楽と向き合える時間は貴重だと早々に気付かされる。
特にレコードで音楽を聴くのなら、他に何かをしながら聴くというのではなく、しっかりと聞き入りたい。

そうすると実際いかにレコードが音質的には優れているとはいえ、何でもかんでもレコードでというわけには行かなくなってくる。(お金の面もあるし。)

だからこそ、レコードは自分にとって思い入れのある曲たちと触れられるホームのようにしたいと思うようになった。

振り返れば、今までの人生でぶち当たった踏ん張らないといけない局面の数々は必ずと言っていいほどその時聞いていた何かしらの音楽と結びついている。

でも今まで自分が人生を通して聞いてきた音楽のログはいろんなサービスとアカウントに分散されていて整理されてない。
蓄積が見えない不安がある。
あれ?僕の中高の青春て、存在した?よね?って。

その点レコードは自分に影響を与えてきた音楽たちを、形を持って棚に収めることができる。その棚を見るとなんだか、自分生きてきたなーという安心感がある。

自分の趣味を肯定してくれる音楽はレコードで「手に触れて」「ジャケットを眺めて」「いい音質で」聴きたい。

例えそれがバリバリ電子音楽のKraftwerkであっても、彼らが「テクノロジーを楽しむ」感覚を僕にくれたのなら、レコードで欲しいし、真剣に初心と向き合うことができる。


デジタル環境は自然の風景の一部。
でも目にみえる人生の蓄積を欲している。

そんなデジタルネイティブの一人としての自分が抱えている心理が再確認された。


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