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「被造物を通して神を知る」創世オ記9:1~7/ローマの信徒への手紙1:18~25 日本キリスト教団川之江教会 公現後第5主日礼拝メッセージ 2025/2/9
信教の自由を守る日
今週11日、日本のキリスト教会は「信教の自由を守る日」と定めています。2月11日は、日本では長い間「紀元節」として覚えられてきました。神武天皇が即位したとされる日を、明治政府が祭日と定めたものです。日本の紀元に関わるものですから遥か古代から脈々と受け継がれてきたような印象を与えていますが、制定されたのはわずか150年前のことです。しかも第二次大戦敗戦後に廃止されましたから、明治憲法の下で70年間程守られていたに過ぎません。廃止されたのは天皇制国家のもとで悲惨な戦争に突き進んでしまったことを反省し、民主国家として新たな歩みを始めようという決意の表れだったと言えるでしょう。ところが日本政府は1967年、同じ2月11日を「建国記念の日」と定めたのです。
ところで皆さんはこの日を「建国記念の日」と憶えてこられたでしょうか、それとも「建国記念日」と憶えてこられたでしょうか。私は子どもの頃「建国記念日」と教えられてきたように記憶しています。もちろん先ほど言ったような謂れや経緯は知らず「日本という国の誕生日を祝う」という程度の意識で、ただ学校が休みになることが嬉しかったものでした。ところがいつの頃からか、建国記念「の」日だということが意識して強調されるようになったように思います。「建国記念日」だと、そのものずばり建国した日を記念するという意味ですから、かつての紀元節と直接結びつけられます。そうしますと戦前に戻ろうとするのかと反対する声が大きくなりますので、政府は批判をかわすために新しい祝日を「建国記念の日」としたというのです。「の」を入れたら建国した日を記念するのではなくて、建国したことを記念する日になるからなのだそうです。しかも「建国記念の日」を国民の祝日にする法律では、日にちは「政令で定める」とされました。そして法律が作られた後に政令で、つまり閣議決定で2月11日と決めてしまったのです。国会で審議するときは、ただ建国したということを記念する日で、しかも日にちも決めないとされると反対しようもありません。しかも法律で日にちが決まっていない祝日は、建国記念の日だけなのです。なんとも姑息な方法でしょうか。ではなぜ私はこの日を「建国記念日」と憶えてしまったのでしょうか。これは憶測ですが、建国と神武天皇の即位という神話を結び付けたい人が吹聴するのを耳にして憶えてしまったのかもしれません。
このような胡麻化すようなやり方で決められた2月11日「建国記念の日」ですから、戦前の紀元節と結び付けずにはいられません。キリスト教界はかつて天皇制のもとで信教の自由が奪われたことに顧み、また自らも偶像礼拝に陥ってしまったことを省みて、二度と同じ過ちを繰り返さないようにと同じ2月11日を「信教の自由を守る日」と定めて反省と憂慮の意を表明するのです。
東予分区でも毎年2.11「信教の自由を守る日」の集いが行われています。今年のテーマは「象徴天皇制下の日本基督教団」です。案内チラシには、こう書かれています「戦前・戦中の明治憲法では・・天皇は国民の精神的中核とされ、「国民儀礼の作法」として教会の礼拝で「宮城遥拝」「国歌斉唱」を強要し、「教育勅語」によってすべての国民を統制、日清日露、大東亜戦争という侵略戦争を押し進めた歴史があります。そのような歴史を踏まえつつ信教の自由について考えましょう」。宮城遥拝というのは、皇居の方角を向いて拝礼することです。また「国歌斉唱」というのは、天皇による国の支配が永遠に続くようにと謳う「君が代」を歌うことです。つまり明治憲法の下でキリスト教会は礼拝で天皇を拝み、天皇を讃えていたというわけです。
チラシでは、それを強要されたとだけ書かれています。もちろん強要されたことに違いはないでしょう。でも「強要」という言葉からイメージされる、脅されて嫌々ながらということでは必ずしもなかったようです。むしろ積極的に国威発揚の集会を開いたり、軍用機を献上したりして天皇が率いる侵略戦争を押し進める側に立っていました。国家による強要に抵抗したホーリネス系の教会は弾圧されたわけですが、教団や多くの教会はそれによって自らの過ちを悔い改めるのではなく、むしろ国家におもねって保身を図ったのでした。そのような歴史を踏まえずに、天皇に強要された被害者としてだけあり続けるとしたら、また同じ過ちを繰り返すことになってしまうだろうと思います。
ところで、今年の2.11集会のテーマは「象徴天皇制下の日本基督教団」です。戦時下の、ではなく日本国憲法の下での今の教団がテーマになっています。明治憲法下の歴史を踏まえながら、今の教団・教会の在り方にどう斬り込んでいくのか興味深いテーマだなと思っています。
神の永遠の力と神性は被造物に現れている?
パウロはローマにいる信徒たちに、こんな言葉を継げています<世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます>。神様の力や性質を、私たちは直接知ることができません。ここでいう<目に見えない>というのは、ただ視覚的に見えないということだけではなくて、聞くこともできないし肌で感じることもできないし、心で受け止めることもできないということです。つまり私たち人間は、神様のことを直接知る能力を持っていないのです。では私たち人間は、神様のことを知ることはできないのでしょうか。パウロは、そうではないと言います。神様の力や性質は、被造物に現れていると言うのです。被造物とは、神様が造られたこの世界です。そして神様が造られたこの世界、一人の人間、人間と人間が作用する社会、そしてこの自然界すべてを通して私たちは神様を知ることができるとパウロは言うのです。
この言葉は、誤解を生みやすいように思います。取りようによっては、間違った方へと進みかねません。たとえば戦中の教会は、なぜいともたやすく宮城遥拝を受け入れてしまったのでしょうか。当時天皇は、現人神とされていました。そのような天皇を教会が受け入れることは、いくら何でもできなかったでしょう。そこで国は、宮城遥拝は宗教行為ではなく国民儀礼だという方便を示してきました。だから信教の自由を侵しているわけではないという理屈です。これでハードルは低くなるかもしれません。でも積極的になるには、決め手に欠けるように思います。そこに、この言葉が示されたとしたらどうなるでしょうか。つまり神様の永遠の力と神様の性質が、被造物である天皇に現れているという理屈を立てることもできるわけです。そして天皇を通して神様を知ることができると考えることもできてしまうわけです。今の私たちは、この解釈は間違っていると感覚的に退けることはできます。でもなぜ間違っているのか、ちゃんと説明しようと思ったら案外難しいことに気づかされますが、だからと言ってここから逃げてしまうこともできません。逃げてしまったら、また戦中と同じ過ちに陥ってしまうことになるからです。
では、なぜ間違っているのでしょうか。どこを間違ってしまったのでしょうか。それは、聖書の言葉を後付けにしているということです。最初に天皇を否定できないという私たちの事情があって、その事情に合うように御言葉を後付けしている。それは人間の都合のいいように、神の名を利用しているにすぎません。
ロシアとウクライナの戦争が終わりませんが、ロシア正教会は「神はロシアについている」と言い、一方のウクライナ正教会は「神はウクライナに味方している」と言っています。アメリカのトランプ大統領が選挙中に銃撃を受ける事件がありましたけれども、トランプ大統領を支持する福音派の教会は「一命をとりとめたのは神の摂理だ」と言い、大統領就任式では聖公会のバディ主教が「もっと慈悲深くあるべきだ」と説教したことも話題になりました。自分の野望のために神を味方につける、まるで大統領が神を従わせているかのようです。
私たちは平和を願い祈っています。けれどもなかなか平和になりません。どうして神様は平和をもたらしてくださらないのだろう、そんな思いになることがあります。けれどもそれは、逆なのではないでしょうか。私たちが平和を願い祈るのは、それを神様に叶えてほしいからではなくて、神様が平和を願っておられるからです。神様が平和を願っておられるから、私たちは平和を願い祈って行動する。そこに神様の力と性質が現れるのだとパウロは言っているのではないでしょうか。
平和に限らず私たちは、いろいろなことを神様に祈り願うでしょう。けれどもそれは、その願いを神様に叶えていただくためではありません。私たちが神様の願いに叶うよう、生き方を変えられるようにと祈るのです。その新しい生き方に、神様の永遠の力と神性が現れる。神様の願いに叶って生きようとする私たちに、神さまが現れてくださるのです。
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