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『何のために勉強するのか』という問い

『何のために勉強するのか』

皆さんはもし、子供にこの問いを尋ねられたらどう答えるだろうか?

おそらく誰しもが子供の頃、自分は何のために勉強しているのだろうかと疑問を持ったことがあるだろう。

そんな疑問を持った時、大人たちは納得いく答えを返してくれた覚えがない。
将来のためだとか、勉強はするものだとか、そんなつまらない答えが返ってくる。

今回の記事は、そんな問いに対しての現在の私なりの考えを述べようというものである。

私は勉強をするというのは、自分の持っている絵の具の色を増やすようなものだと思う。

我々は義務教育で基本的な色の絵の具を渡される。
もちろんそのまま絵を描き続けることも出来るが、その何倍も色を持っている人の方が、新しい表現が生まれるし、何より絵を描くことも楽しくなるだろう。

もちろん増えていく色の中に、その時は使い道の分からない色もあるだろう。
この絵の具を捨ててしまうか、いつでも塗れるようにしまっておくか、我々はそんなに選択ができるんだと思う。

世の中には「高校で勉強した勉強なんて大人になって使わないよ」なんて言ってくる人もいるだろう。
その人が間違ったことを言ってる訳では無い。
おそらくその人は使っていないのだから。

例えば数学に関して、こんなことを言ってくる人が多いイメージがあるが、私は"数学という色"の塗り方を知っているから、私はこの色を綺麗に塗ることができるわけだ。

絵の具を増やすという行為は、大人になってももちろん出来ると思う。
しかし、歳をとるにつれて増えていく色は、自分の持っている色に似通った別の色が多いのではないだろうか。

補色の色(補色:反対の色のこと。数学と国語、ぐらいの例え)を増やすなんてことはとても難しいことだろう。

様々な色を集めやすいのはおそらく学生時代なのだ。
だから我々は、子供のうちから勉強しておくべきなんじゃないだろうか。

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