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易について I(あるいは小説「リング」の真の恐怖について)

易には以前から興味があって、関連する書籍を多少読んできた。

岩波文庫の易経、徳間書店の中国の思想シリーズ・易経、安岡正篤の著した複数の易経解説書等など、いろいろ読んだのだが、結局のところわからない。

さらには占術としての易の(なかなかに高価な)解説本も手に入れて、ある程度まとまった時間を充てて独習したこともあったが、やはりわからなかった(詐欺にあったのではないかとも思った)。

易は、人生訓・処世訓的なものとしてとらえれば重厚感はあるのだが、占術として活用(易占)しようとすると、卦を出すところまではできるとしても、その解釈がむつかしい。正しい解釈を導き出すには超常的な能力が必要だというのが私なりの結論である。

ところで、現代に伝わる易は、陰陽理論を基盤においているようで、陽と陰から成る。これは二進法を想起させる。

人間世界の「変化の実相をつかみとろうとしたのが、易経思想の形成者たちであった」(丸山松幸・中国の思想VII 易経)ともいわれる。

飛躍するようだが、陰陽の二元論で世界の実相をとらえることができるのだとしたら、この世は二進法で記述されているとも考えられる。実はコンピュータ・シミュレーションのようなものなのではないか、という仮説もある。

このシミュレーション仮説、大真面目に議論されているテーマであるし、この世界は、実は誰かの作った仮想現実であり、私はそのなかで生かされている駒のようなものだとしたら、これ以上ないほどのホラーといえる。

ところで、かつて大ヒットした「リング」という映画がある。その原作は、鈴木光司の小説「リング」であるが、それは「らせん」「ループ」へと続く三部作構成となっている。

古井戸から髪を振り乱して現れる女・貞子の怨霊は、ビジュアルとしては訴求しやすいのかもしれないが、真の恐怖はそこではない。

小説「ループ」のなかで、キャラクターのひとりが、自身の生きる現実が、実は仮想現実であることに気づく場面がある。私はこれを読んだとき、自身の生きている現実が、実は他者の手によってつくられた仮想現実である可能性に思い至り、背筋が凍りつく思いをした。

私はこれこそ恐怖の真骨頂であろうと思う。「リング」という物語の本当の恐ろしさは、読者の現実に対する信頼感を根底から揺るがす問いを突きつける「ループ」にある。

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