経営者を見抜く法(呂氏春秋が今に伝える人物の見極めかた)
会社の価値は、経営者が誰かによって9割がた決まるといわれる。投資する側としては、経営者の人物を見極めることがとても大切な仕事となる。
「呂覧」(呂氏春秋)という古代中国の文献がある。秦の始皇帝の時代、秦国の宰相を務めた呂不韋が、多くの学者に編纂させた百科事典的なものである。現代の百科事典とは多少、趣が異なっていて、そのなかには、人物の見極めかたとして、八観六験(はちかん りくけん)という手法が記されている。
ここで詳細を書くスペースはないので、思い切って要約すれば、人物を見極めるには、その人が発する言葉ではなく、種々の状況に応じての行動を見よ、というのが骨子である。
ちなみに、司馬遷は史記のなかで呂覧を「呂氏春秋」と記した。ついでにいえば、呂不韋は、実は始皇帝の実の父親だったのではないかという噂が、現代までまことしやかに伝えられてもいる。
それはさておき、古代より、人物を見抜くには、その人が話すことではなく、行動によるべきというのが、どうやら普遍的な知恵であり洞察といえそうだ。どんなに高まいな理想を口にしたところで、行動がそれに見合ったものでないというケースは、ままあるものである。
投資家であれば、経営者のいう耳ざわりの良い言葉を額面通りに受け止めて、実態を見誤ろうものなら、痛い目を見る。
たとえば自社株買いが典型例である。会社の内情に通じている人々が、明らかに今の株価は自社の価値に対して、とても低いと判断したからこそ、自社株を買い戻すという意思決定をしたと推測できる。今の株価は明らかに低すぎる!という言外の主張がそこにはある。
バフェット氏にいわせれば、自社株買いとは、賢明に行いさえすれば、何ら生産活動を経ることなく、株主価値を増大させる手法である。その判断が正しいかどうかは、確実とはいえないものの、会社をもっともよく知る人々の意思決定であり行為であることから、それは重く見てしかるべきといえよう。
逆に、経営者がその持株を減らすときにも注目したい。
有価証券報告書には、経営陣各人の保有する自社株数の情報が記載されている(【役員の状況】パート)。有報に記されるのはその時点の持株数のみなので、増減を見るには、その前の期の有報と比べてみる必要はあるが、会社をより深く知るための分析手法として前期比較はごく初歩的かつ基本的なものである。
また、経営者、監査役などの退任といった情報も大切にしたい。会計監査人の辞任(交代)にも注目したい。沈み始めた船からは、その内情をもっともよく知る人々から逃げ始めるものだからである。
目は口ほどにものを言う、ではないが、行為は口以上に経営者その他の人々の本音を映し出す。