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#サイエンス 記事まとめ

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noteに投稿されたサイエンスにまつわる記事をまとめていきます。
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#エッセイ

言っとくけど、ほとんど失敗するからね

宇宙には、ダークマターとかダークエネルギーがあって、しかもそれが大部分を占めているらしい。 存在する物質やエネルギーの多くはその性質が解明されていないということでよいのだろうか。 物理学者や天文学者が長い時間をかけて解き明かしてきた、我々の身の回りにある物質やエネルギーは宇宙の一部にしかすぎなくて、まだまだ未知の領域が広がっている。 ボスを倒したら別の世界に飛ばされて裏ボスが出てくる、みたいなこの手の話は、科学の世界ではむしろ王道というか、ベタな展開だ。 生命科学で一例を挙

メカニズムの階層ごとに擬人化してみる?

細胞をひとりの人間に「擬人化」して、がんについて語る方法があるのならば、細胞の構成要素を擬人化してもよいと思う。 人間のゲノムには数万種類の「遺伝子」の情報が蓄えられており、それらの設計図を基にタンパク質が日々刻々と作られ、役目を終えて分解される。 また、タンパク質の中には酵素活性を持つものがたくさんあって、脂質など、細胞に必要な物質の合成や分解に関わっている。 脂質などもプレイヤーとして加えるのなら、ひとつの細胞はかなりの大企業だ。 簡単のため、プレイヤーをタンパク質に限

上階へ至る道

ひとりひとり個性があるように腫瘍もひとつひとつ性質が違うから、それに合わせて治療する。 患者の持つ遺伝子のバリエーションを調べ、それに合わせた薬剤を選択する。 個別医療という言葉を最近、特に耳にするようになって、耳にするたびこの流れの起源について考える。 思想的なものではなくて、どういう研究の積み重ねによって可能になったのかについて。 直接つながりのある研究をたどれば、大本は19世紀末に始まったウイルス学だと思う。 ウイルスは細胞の中でしか増えることができない。 おまけ

分解して組み立てるまでがワンセット

アニメ・ゲーム関連の作詞家である畑亜貴さんと漫才師のサンキュータツオさんが『ただらじ』というラジオ番組を自主制作されていて、その中に『感情言語化研究所』というコーナーがある。 発注を受けて制作するアニソンと、自主制作の楽曲では、作詞の意味合いが異なる。 アニソンは作品の一部となることを前提に作られるわけだから、テーマや雰囲気は作品を反映していなければならない。 つまり作品のため、引いては視聴者を楽しませるために書いている。 それに対して自主制作では自分の書きたいものを書ける

実験科学は論理的か?

研究は感覚と経験だ、と言ってみたくなる時がある。 わたしは遺伝子やゲノムを制御する機構を調べている。 調べるための方法が日々、更新され、新たなプロトコールを掲載した論文が雑誌のウェブサイトにアップロードされる。 同じことを目的とした異なる方法も複数、存在するのが普通で、全ての方法の細部を把握するのは容易ではない。 数年経てば、お金と時間のかからない、精度の良い実験技術だけが生き残る。 それはまさに自然淘汰だ。 生き残り確立された方法だけを使っていれば気楽だがそうもいかない。

環境によって変化するって、それはそうだ

部分の総和が全体にならないことに時々、心をやられる。 「がん」の性質を明らかにして、そこから新しい治療法に繋げようと研究をする。 どうしてがん化するのか。 がん化した結果、どういう性質を持つにいたるのか。 それを理解したいと思って日々、実験を繰り返す。 実験することは、対象に干渉することと同義だ。 生物学でいうと、生き物に何かしらの操作を施す。 例えば、薬剤Aを加えてがん細胞の増殖が止まれば、薬剤Aにはがん細胞の増殖を抑制する何かしらの機能があると分かる。 逆に、がん細胞

世界の溶ける感覚

東京ポッド許可局というラジオ番組で、9月から12月にかけて必ず話題になることがある。 「夏が終わったら、もう年末」 パーソナリティーのひとりであるプチ鹿島さんが言い出したことなのだが、とにかく秋から年末までが毎年あっという間に感じる、という意味だ。 夏も終わり頃に、今年こそは充実した年の後半を過ごそうという、意識が低いのか高いのかわからない、一種の標語だ。 そもそもこの番組のパーソナリティーは三人とも芸人なのだが、ロジックを極めた現在の高度な「お笑い」以外にも、面白いこと