月からやってきた姫

さてクイズです。ここはどこでしょう?私たちの住んでいるエリアは、通常「碧望」と呼ばれていて、反対側は「宙望」と呼ばれています。私たちの星は小さいし、住んでいる人も少ないから、そんな二つの区分で十分成り立ってしまうのです。わかるかな?簡単すぎたかな?

そう、私たちの星は、月。月と地球は切っても切り離すことのできない密な間柄でつながっている。地球の人たちは、私たちの星のことを「どこまで歩いても追いかけてくる」なんて言っているけど、たしかに、月は何十億年という気の遠くなる昔から、地球の周りをひたすら回り続けていて、だからこそ、私たちのほうも地球なしに生きていくことなんてとてもできない。この碧い星は、私たちの心のよりどころでもあるの。

ただ、知らない人も多いかも知れないけれど、「宙望」エリアに住んでいる人の中には、地球を見たことがない人が沢山いる。信じられる?でもそれは本当のこと。地球と月のあまりにも濃い間柄のために、何だっけ、自転だっけ?公転だっけ?詳しいことは私には説明できないけど、「宙望」エリアからは、絶対に地球を見ることができない。吸い込まれそうな宇宙しか、そこからは見ることができないの。碧い星が見えない星空なんて、私には想像できない。でも、見たことのない人にとっては、それは別段驚くことでもないのかもしれない。

ある時、私のご主人が「どうしてもあのあおい星に行ってみたい」とだだをこねだした。まだ小さいご主人ではあるけれど、あおい地球はどこか不思議な感情を呼び起こされるらしく、たまに「帰りたい」という言葉を発するのだ。正直、幼いうちにそういうことを言う子供が一定数いて、そういう子供達は「あおい星の子」と呼ばれ、とりあえず地球に送ることになっている。ただし、月と地球は何もかもが全く違うから...、実際のところ、月から出かけた子供達が地球でどんな暮らしをしているのかは全く分からない。当然のことながら、宙望エリアから地球に向かう子供はいないのだけど、碧望エリアの子なら、私も何人かを見送ってる。

見送りには何度か行ったけど、実際にどうやって地球に行くのか、私には全く分からない。どうやら、その子達にはちゃんと道が見えているみたい。空に向かって普通に歩いていって、気がついたときにはもういなくなってる。こんどこそはって気持ちを集中させていても、かならず途中で意識がふっと薄くなるときがあって、気がつくと消えてる。とにかく不思議な出発としかいいようがない。

帰ってきた子供はいないし、親達は必死で止めるけれども、子供達は全く聞く耳を持たないから仕方がない。わたしはというと、どうやって地球に行くのかとても知りたかったし、月を離れることにもそんなに未練はなかったから、結局のところわたし自身も「あおい星の子予備軍」だったのかも知れないと思っている。

そして私のご主人も、月から旅立った。そこから先は...日本人なら必ず大筋は知ってると思う。そう、着いたところは竹やぶの中。そして、優しいおじいさんおばあさんに、それはそれは大切に育てていただく。

地球に行く子供達はだいたい、子供がいない老夫婦に預けられることになってる。そして、ものすごく小さな姿で地球に登場して、通常では考えられないスピードで成長してる。行き先は日本だけでなく、色んな国に行っているはずだから、思い当たる話も沢山あるんじゃないかな。

結局、月に帰ったのはうちのご主人だけだから、われら月の都の人たちについての記述があるっていうのは貴重なことよね。いざとなれば圧倒的な力を使う月の都の人たちだけど、基本的には、穏やかに平和に暮らしている。実を言うと、お互いの思いも結構分かってしまうから、言葉を交わすことも少ないくらい。

だからわたしは、このあおい地球に残ることに何の迷いもなかった。ここの人々は見たことのない姿で走り回り、大きな声でわめいたりしているし、かと思えば花に顔を寄せて涙を流したりもする。水に入って笑う人もいれば、なんとまあ、私を追いかけてきたりする子供もいる。あちらでは見られない光景ばかりで、月に帰りたくない、ここに残りたいっていう気持ちは姫とおんなじ。

だけど、わたしがここに残りたいと思った何よりの理由は、食べるものが美味しいこと。月の都では、白くて細い木の葉っぱしか食べられなかったけれど、ここでは緑色につやつや輝く、色んな葉っぱが生えている。お花だって、選べば食べられるものもいっぱい!お腹いっぱい食べられるから、走るのも跳ぶのも本当に上手になっちゃった。こんなに楽しいところから、帰りたいわけないじゃない。

月の都では、私のこと心配してる。でも、月にはいつだって父と母の姿が見えるから、私は全然淋しくないの。それに、私には新しい友達ができて・・・。相撲をとって遊ぶカエルさん達の他にも、沢山の面白い人たちがいる。空を飛ぶ人たちだっているのよ。そういう人たちから、むかし住んでいたの星の話しを聞くのも、なかなか楽しい時間の過ごし方。私が月に帰るのは、ずいぶん先の話になりそうね。

2020春

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