子育てが終わってからの自分の価値とは
「子育てが終わって何もない自分にならないように」「子育てが終わっても人生は続くから」よく聞くこういう話に、私は苦しめられていたと思う。
母親じゃない自分も社会のなかで構築しないといけないのか、と。そして、私は一人の人間なのに「母親」や「奥さん」という誰かの添え物ラベルでしか見ない人が苦手でもあった。
私は虐待家庭あがりなので全身全霊をかけて繰り返さない覚悟をもち、正解を知らないから知っている不正解から正解を逆算して子育てをしている。
基本的に孤独であり、娘が羨ましく感じる時もあり、一緒に楽しく過ごしていてもまるで映画を観ているみたいに現実感がない時もある。耐えきれなくて一緒にいられない時もある。
私は自分が親と同じことを繰り返すのが、子どもから嫌われるのが心の底からこわい。
正直、「子育てが終わって何もない自分にならないように」と自分の先のことを考える余裕がない。あと、人生100年時代っていうけど、全ての人に当てはまるとは思っていないので、「子育てが終わっても人生は続く」という分からない先のことよりも、私は今を大事にする生き方をしている。結果的にそうするしかないのである。
私にとっては子育てには全てを賭けるだけの価値があると思う。少なくとも私のような問題を抱えている人にとっては苦しみながらも幸せをもらえるチャンスだから。二兎は追わない。追えないし。一羽の兎を確実に追えば思いもよらないものが得られる。そういうものだと思う。
子育ての後に何も残らなかったとしても。私の人生においてはものすごく意義のある産業に身をおいて頑張ったという事実は残る。周りに何を思われようが言われようが、その時、ただ自分を誇らしく思えばいい。正直、他人の人生についてとやかく言うヤツはクソだ。
人生の価値というものは、社会において個人として何をしたかというだけではないはずだ。少なくとも私は自分の人生において(そしておそらく娘にとっても)「母親」や「子育て」という概念を超えた最も重要なことを懸命にやっていると胸を張って言えるから。