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96歳のレヴィ=ストロース

昨日に続き、『レヴィ=ストロース『神話論理』の森へ』を読む。
会社から戻り、クイックにご飯を食べ、いそいそと頁をめくる。
こういういそいそ感は久し振りである。学生の頃のようで懐かしい。
「積ん読本」が多すぎて、通し読みではなく、気になる章の拾い読みにしよう、と思い、今日はまっすぐに96歳の彼が何を語ったのか知りたく、本の真ん中の「レヴィ=ストロース・インタヴュー『神話論理』誕生の道すじをたどる」を開く。

インタビューを読んだ印象として、96歳なのに、すごくカクシャクとしている。そして記憶力がものすごく良い。「確かそれはそこの本棚の一番下にあって、全48巻。ニューヨークの古本屋で一冊ずつ入手しました」なんて言ったりする。また、率直な物言いをする。聞き手である渡辺公三氏が、彼のある講義に感銘を受けたと話すと「今読み直すと大変不満を感じざるを得ません。あまりに多くのことを、あまりに複雑なことを言おうとしている。主題が多すぎます。もっと整理できたはずです」と96歳にして若かりし自分の講義にダメ出しをしていた。すごい。
更に、後世の大著も、様々な偶然やご本人の元来の数奇が織り成って生まれているのだなと感慨を深くするエピソードが満載であった。

彼は、哲学教員のキャリアから逃れたくて、海外に行くための方法を当局に打診したのであって、行き先はどこでもよかったんだそうである。最初は神話学や人類学ではなく、哲学だったのか。うーむ、なるほどと思う。
結果的にブラジルでインディアンの文化に触れ、神話研究を始めた。『今日のトーテミスム』も自発的に書いたのではなく、デュメジルが監修する本に一冊書いてくれと言われ引き受けざるを得ずに書いたものだし、書き終えてなおまだ言うべきことが沢山残っていると感じたからこそあの『野生の思考』を書いたのだと語っていた。その都度流動的な可能性であった筈のたくさんの偶然や機が、結果的に大きなうねりのように結実の表象に向かう。何だか、ひとの人生は芸術だな。

「わたしは若いときから、われわれの文明あるいは社会において、いっぽうの「理解可能なもの」といっぽうの「感覚的なもの」との間にあると見なされた深い溝に心を奪われてきました。この矛盾はわたしの精神にとってたいへん厄介なものと思われました。これをいかに克服するかということがたいへん大きな課題と思われたのです。」
「わたしはずっと料理には強い興味をもってきました。女の人が料理する時には横で観察するのは大好きです。(『神話論理』を貫く料理への関心は一貫していたのです。)」
こういう率直な、人となりがわかるエピソードを知れるのも、大地に根を生やしゆたかに枝葉を伸ばす大樹のような研究成果のタネが、ご本人の昔からの解消しきれない疑問や数奇から育ったことがわかってとても好ましい気がする。

最後、動物と人類の関係性について話が及ぶと、「これはある種の種間倫理(人間と他の生物種の間に設立すべき倫理的な関係)の提示と言えますか」という渡辺氏に、レヴィ=ストロースは「それは私にとって極めて個人的な倫理的な格率といえるものです」と答えた。
「格率」です。哲学用語だ。自分の行為原則。

池澤さんが、レヴィ=ストロースの『野生の思考』に則って物語を書いてきたとか、『神話論理』の小さな話のひとつひとつに共感する、その喜びが「ぼくの文学の第一原理」、と言ったことともどこか重なりながら、やはり世界に対する信念というか、その人(や社会)のなかで醸成されている根底の世界観が、表象という建築物の見えない芯だな、と思う。
だからこそ、かつての神話もそうだし、今もなお、物語は深みと力を持つ。とも思う。
そこをこそ、読み取っているし、読みたい。


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