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霧のむこうのふしぎな町

小さい頃から、知らず知らず良質な本に囲まれていたと思う。子供に読ませたらよいのではないかという本を父が買ってくるのだ。
記憶があるのだから幼稚園生の頃なのか、毎晩寝るときは父が本の読み聞かせをしてくれたのも覚えている。二段ベットで布団をかむる姉妹。子供部屋にあぐらをかいて、二段ベットから顔だけ出した娘たちに向けて本を読む父。私たちはいつの間にかすやすやと眠る。


『霧のむこうのふしぎな町』は自分で本を読むようになった小学校低学年くらいに買ってくれた本だろうか。表紙のピエロの柄の傘がゆらゆら揺れて、霧のむこうに彷徨いゆくような絵。傘に先導されて、自分もこれからふしぎな想像の世界に誘われることを象徴しているようだった。霧のむこうに別の知らない世界が広がっているのだ、とあたまのなかで空想の世界を広げられる大好きな本だった。

だから、千と千尋の神隠しが上映されて観に行った時にはすぐわかった。前評判も宮崎駿監督の制作裏話も知らずに観たが、ああ、霧のむこうの!ふしぎな町じゃないか!と。映画も別のものがたりとして本当にすばらしかった。

街の舞台については、台湾の九份だとか山形の銀山温泉だとか、取り沙汰されたスポットが観光地としても話題になったが、もともとの〈お話の元型〉が『霧のむこう~』であったことはあまり知られていなかった気がする。
相当大人になった今、何なら旅中の霧の写真で記事を書こうと懐かしの本のタイトルを検索し、違う絵が出てきてびっくりした先程、ようやく映画化当時の版権の問題や、本に用いられる絵が竹川功三郎さんから替わられた経緯などを知った。今の絵を頼まれて描いて下さった方には大変申し訳ないのだけれど、あの児童文学は竹川さんの表紙とあいまって届けられたからこそ生まれた世界観や力があり、それは子どもたちの世界(当時の/その後の)を支える想像力に対してあまりに素晴らしい影響力を発揮するので、ぜひ今後も竹川さんの絵でものがたりを残して欲しいと思う。

竹川さんの当時の主張に対し、本と映画は似ていないので言い掛かりだとする声もあったようだ。だが子供の時分にあのものがたりが好きで何度も読んでいればわかる。少なくとも千と千尋の神隠しの元型または大事な構造は、監督ももとのお話として言及していたようにやはり『霧のむこう~』なのである。そしてまた、翻案され新たなモチーフとメッセージが吹き込まれた『千と千尋の神隠し』もまた、新たな別の素晴らしいものがたりである。

大海から川が流れ支流ができまた大海に流れ込むように、時代とともにさまざまなものが形を変えながら生活を彩るように、ものがたりも流れ込んだり流れついたり、かたちを変えたりしながら、日々生きている、息づいている、のである。


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