「楽しい(たのしい)」 と 「楽ちん(らくちん)」 は 意味が違う 「好きであること」 と 「便利であること」 は 全然別のこと ……………………………………… 最近よく 「好きなように生きる」 ということが 取り立たされて 風の時代 個の時代 とかなんとか 自分が思うように 生きてこそ幸せ という風潮 私もその考え方には 同意 だが…… いつもなにか 引っかかるのは 「好きなように生きる」 の勘違い 冒頭で書いたように 「好きに生きる」ことは
数十年行きてきても 人生の中では 人から学ぶことが多い もう 自分は だいぶ成熟した 大人になった! って 思っていても ふいに起こった 出来事から 大きなことを 学ぶ機会になったりする そのたびに 数十年生きてきた割に この 未熟さ?と 思い知らされる ことも 多数 年齢を追えば追うほど 年下から 学ぶことも 増えて もちろん 人生の先輩達からも まだまだ 教えてもらうことも たくさんある 出会いの全てが きっと 何かしらの 学びになるんだ
以前に 個人の悩みは 飢餓や 戦争に遭っている人と 比較するものではないと 書いたんだけど ちょっと 自分の中で スッキリしなかった たしかにそれは そうで 正論 世の中の 苦しみと あえて 比較するなら この 平和ボケしてる 私の住んでる日本で 平和ボケ風に 悩んで 辛いだの 消えたいだのと ぐるぐるしているのは とても 小さなことに 思えてくる その反面で そんな小さな悩みに 命かけるくらい 苦しいのも 確かで そのとき 私が 少し思ったこと
仕事上のルールは 「〜しなければならない」 という マストの事柄は 存在するが こと 人生において しなければならない事は ほとんど 無い しても しなくてもいい 事だらけ しなきゃいけないとか してはいけないとか 決めてるのって結局自分です それ やめてもいいよ って 許可出せるのも 自分なんだけどな なぜか 人や 環境のせいにして やめてはいけない って 決めつけてる どっちでもいいから 自分で決めて いいんだよ
自分の中にある 当たり前のこと たとえば、 「人に思いやりを持つ」 だとか 「自分がされて嫌なことは人にしない」 とか 他にも たくさんあるけれど それが 他人にとっては びっくりするぐらい 正反対のときもあって つくづく、 自分の基準で 物事を見定めるのは 危うい行為だなと思う 自分がこう感じるから 相手も 同じような感覚になっている とは、 必ずしも 言えない 似た感性の持ち主は もちろん居て、 同意する部分が 多い人も
怒りの感情 というのは、 気持ちいいものではないけれど (少なくとも私にとっては) 人間には 必要 喜怒哀楽 って 人が持つ感情は 押さえつけないほうが 本人にとっては 健康的 我慢し過ぎはよくないからね だだし、 感情を押さえつけないのは 条件付きだと 思っている派 怒りを持つことは 否定しないけれど その怒りでもって、 他人を攻撃することには なんのメリットもない 攻撃された人は もちろんのこと 攻撃した側も 相手から 周りから 攻撃
人の「悩み」 他人にとっては大したことのない 悩みでも 当人にとっては 生命を脅かすほどの 悩みだったりする それを鼓舞するために よかれと思って なんだろうけど 「世の中には、 水も飲めない人がいる」 だから、 そんなことくらいの 悩みなんて ちっぽけ だと… ごもっとも その通り ではあるけど、 それ、 比較することかな? その場の環境 そのときの場面で 人は お金持ちでも 天才でも 美人でも 消えてしまいたくなるほどの 悩みを抱える
この先の未来 世の中は 多くの問題を かかえると言う 水不足 戦争 環境破壊 温暖化 資源不足 等々 日本では? 人口減少 貧困… 今の子供達の未来って これ見たら とんでもなく 絶望的 かと言って あり得る現実を 隠して 希望を持たせるために 夢物語ばかり 伝えるのも 何か違う 子供達が そんな未来を たくましく そして 幸せに 生きるために 私達大人が できることとは…? 自分を守る術を身に着けさせる? サバイバル能力を? 財力を?
心が震える瞬間 自然の景色や空気で 心が震えることもあるけれど 一方で、 人が作り出したものが 人の心を 激しく 震わせることがある たとえば 音楽 絵画 建造物 文章 など… 人の心を 特に 激しく 揺さぶるのは、 人が作り出したものなんじゃないかと 個人的には思う それらをまとめて「芸術」 と呼ぶとすると それらを生み出す人々は、 とても優れた 「表現者」 だと言える その作品一つで 人の命さえ救える こともある 普段人が
『満月の夜に 自分と向き合って そのとき感じた違和感のある事 それをやめる』 というワーク 自分の中で感じられる違和感は なんだろう? よーく考えてみた ん…? うーん… あれ? ない… 無いな 私が私の中に感じられる違和感が 今のところ 無い 昔は いっぱい いっぱい あったのに それは とてもとても 有り難いことに、 今が幸せだ ってこと 満たされてる ってことなんだなぁと思う すごくめちゃくちゃな 過去があって 当時、迷惑をかけた
試合に勝つのはメンタルだが …◯◯の中には「練習」が入る。 これって、 なんだか めっちゃ当たり前やん…… って話 ここで読む気をなくしてしまうかも しれないが、 まぁ暇だったら読み進めてほしい オリンピックに出るような トップクラスの選手でも、 試合中にメンタルが弱ると いつもどおりのパフォーマンスが できなくなって 格下に負けてしまうこともある だから メンタルって 試合する上では めちゃくちゃ大事な要素 であることは確か とはいえ やっぱり、 練
挑戦してる事を辞めたくなった時 自分で勝手に辞めればいいのに 何故か 他者に責任を擦り付ける 辞めるのも続けるのも自由 辞める理由を周りのせいにするのは 違う気がするけど たぶん きっと 他人や 環境のせいにしないと 次の一歩を 踏み出せないんだろう 自分を含め ちょっと人間は 賢い分、 ずるい できることなら 始めることも 辞めることも 自分の決意でもって していけたらいい
文章を書くことは もともと好きだったけど なにかこう 思い立った瞬間に その場で書き上げてしまわないと その熱量は 時間の経過とともに 下がっていってしまう どこぞの 有名な シンガーソングライターでもない 一般人の 単なる独り言だが 思い浮かんだ瞬間は このフレーズは きっと誰かの 心を救える! などと 世紀の発見のような 気持ちになるから どこかにその言葉を 残しておきたくなるのだ 多数の人々じゃないにしても 誰か1人の心を 救える言葉に なれば
「幸せになってね」 という言葉 一般的によく使われている言葉。 最近私も ある人にその言葉をかけた。 その人には 自分を許せない過去があって 本人の中では過ちとして残っていて。 でももう、それを悔いて、 懺悔したのだから 今は幸せになっていいんじゃない? 幸せになってね、と… でも… よく考えてみたら 幸せ って、 「なる」と言うより、 今、自分の手元にある幸せに気づいて それを素直に「受け取る」ってことなんじゃないかな? と あとになって思っ