甘い毒
朝方にはあんなにも気が落ちていたのに、たった4錠の白い粒で、こんなにも救われるものなのか。起きてからずっと、起き上がる気力も、薬を飲む気力もなく、布団の中でただ横たわり、息をしているだけだった。頭の中では様々な思考が高速で駆け巡り、その悪い妄想に涙を零し続けていた。
お昼頃、祖父が桃缶を開けてくれた。何も食べる気がしなかったが、祖父が皿に移してフォークまで用意してくれたので、食べないわけにはいかず、大きめの桃が2個入った皿と対峙することとなった。甘い汁に漬かった半切りの桃にフォークを刺し、かぶりつく。私って何をしてるんだろう、と虚無的になる。
皿にはなみなみと注がれた桃缶の甘い汁が湛えられていた。祖父の皿よりも私の皿の方が汁が多かった。祖父は優しい。優しくて、私に食べ物を食べさせようといつもしてくれる。その優しさが、今の私には痛かった。
桃を食べ終わると、皿には薄い黄金色の汁だけが残った。流しに持っていき、皿の中に水を捻る。薄い黄金色が更に薄く、段々とただの透明に戻っていくのが心地よかった。水と溶け合う度に、柔らかい粘性を持った液体が、異物のように波紋を見せた。それらがすべて終わると、水道水がただ深い皿に落ちていくだけだった。
皿を洗い終えると、することもなく、やはり私は部屋に戻るしかなかった。文字通り涙で枕を濡らしながら、私は時間をドブに捨てるかのように横たわり、息をしているだけだった。涙が頬を伝い、それが乾くと、頬は薄く粘性を帯びたように感じた。乾くやいなや、次の涙でまた頬が濡れ、そしてまた乾き、涙の年輪が頬に刻まれていくような錯覚を覚えた。
その年輪を手の甲で拭い取る。涙はなんだか甘いような気がした。薄い黄金色の粘り気を含んだ液体と、大して変わらない。
私は立ち上がり、薬を水で流し込んだ。文字通り、私にとって「命」とも言える4錠の白い粒だった。それが効かなくなったのは、毎日3回、救いを求めるかのように、縋り付くかのように飲み続けていた頃だったと思う。最初のうちは、薬を飲むだけで本当に命が救われるかのように気分が向上し、「元の自分」に戻れるような気がしていた。それに依存してしまった私は、辛いときに毎食のように薬を飲み続けたが、次第に効き目が薄れていき、ついには効かないと分かっていても、心のお守りのように飲み続けてしまった。
効かないことが分かっていながら薬を飲むのは辛かった。これではダメだと思い、私は他の薬やサプリを試した。しかし、それでも人生がうまくいかず、大きな失敗を犯してしまった。その恐怖から、私は産婦人科に通い、ピルを処方してもらうようになった。
ピルを飲むようになり、少しはましになったかと思われたが、それでも私は涙を流し、鬱の中で死んだように過ごす時間があった。そんな時、薬局でかつての「母」に出会い、再び救いを求めた。効かないかもしれないという恐怖感に煽られながらも、4錠を飲み込んだ。徐々に気分の悪さが和らぎ、かつて薬を飲み始めた頃のように、「元の自分」を取り戻すことができたのだった。
体の中の甘い汁が、透明な水で洗い流されるようだった。水を流し続けても意味は無いと分かっていながら、救いを求めて水を流し続けた私は、間違っていたのかもしれない。