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仏教(特に密教、修験道など)について

おはようございます。

今月、1月は自己紹介関連記事月間のつもりで、有料記事なしにお送りします。

有料記事は一つありますが、まだ、大したことは書いていません。

朝から気分が落ち込むようなことを書きますが・・・。

明日から仕事ですね( ̄。 ̄;)。

いえいえ、患者さんの健康と社会貢献のために頑張りますよ、私は。

今日はこの地域では、成人式です。

新成人の皆さん、自分の幸せの為にも、社会貢献についても頑張っていただきたいです。


◎ 私の密教歴


養成機関に入ってくる者でさえ「僧」になって真剣に修行したいと思って入ってくる人は希ですし、基本的なことを学んで卒業したら後は「修行」してもしなくても、研究や学習してもしなくても自由です。

とどのつまり、「修行」も「研究や勉強」もしなくて良いのですよ。

意外でしょう?

養成機関に入学する人は寺の跡継ぎ等の方がほとんどで、昔の私が18歳ぐらいの時でも、寺の跡継ぎでは無い人は、5〜6名ぐらいでしょうか。

継ぐ「寺」が無ければ、なかなか就職先(寺です)も、少ないですから養成機関を卒業しても、「僧呂」では無く他の仕事をしている方は沢山居ます。

いまでは養成機関に入学する人も、減り続けています。

そこで、檀家の少ない寺、住職が不在だった寺、または、自分の家で祈祷などを専門にする僧などは、YouTubeで頑張っておられます。

食べていけませんからね。

自称、「僧」のYouTuberなどは、どう聞いても「スピリチュアル系」の話であったり、それ「風水じゃん!!」という話を配信する人も居ます。

そんな時代が長かったものですから、卒業後、修行を教えることの出来る大阿闍梨や先輩は、ほとんどいません。
それで、私は「医学」の道に行くことにし、修行は正しい師匠の元で大峰山を中心に修行することにしました。

お師匠様は、密教の上位の法位を持つ方でしたが本山でも「修行」するものなど「変わり者」という風潮の中で、山を下りて大峰山にて「密教」にプラスして「修験道」も修め、研究されました。
それを私が引き継いでいます。
修行は、14歳からやっていたんですけれどね。

私の詳しい修行歴や宗派、流派などは私の「講義」では、口頭でもテキストでもご説明しています。

こういう全ての人が見る媒体では、宗派に影響もあり、関係者にも迷惑をかけてはいけないので、詳細は書きません。

◎ 減り続ける既存の仏教信者


日本に於いては、既存の仏教宗派も新興宗教も
信者数は減り続けています。

ほとんどの「僧」は、家業のビジネスとしてやっていますから、食べていけない所も出てきています。

ですから、私生活に「修行」などありません。

※ ほんの一部を除いて

その「僧の生活」を、詳しく見れば良く分かります。

その僧の家族に知り合いがいれば聞いてみれば良いでしょう。

もっとも、修行自体を「無駄」である、「現世では絶対に悟りを開けない」とする宗派もありますので、これらの宗派はそれ以前の問題で修行しないことは何ら問題ないのでしょう。

ちなみに、弘法大師が作られた「真言宗」は、本当は「即身成仏」が目標です。

「即身成仏」とは、

「生きているその身のままで、悟りを啓きましょう!!」

と言っているのです。

死んでから「極楽浄土」に行くと言うのではありません。

ちなみに、浄土宗系の浄土思想では、

「生きているうちは悟りなど啓けない。南無阿弥陀仏を唱えて極楽浄土に導いてもらう。」

と言う教えですが、まだその先があります。

極楽浄土」に行くことが出来れば、そこでやっと「修行」が出来て、修行の果てに「悟りを啓ける」という二段階方式です。

これは知らない人が多いでしょう?

「極楽浄土」にいって、それでハッピーエンドでは無いわけです。

◎ 職業としての「僧」


ほとんどの僧は、ビジネスとして活動しているので、寺にこもって、外で社会的に布教活動も無く、ただただ家業をしているだけという事になります。

それでビジネスとしても檀家(信者数)が減っているので深刻化しています。

私は、今は医学者で投資家ですから、経済的には安定しています。
だから、患者さんや他人の問題にアドバイスできると言うわけです。

おまけに、えらくお金がかかるフォーミュラーカーレースにも、「修行」として参戦しています。

道楽と言われれば、それまでですが、自分としては自分の「恐怖心の克服」と言うことで修行しています。

もう、大峰山は何も怖くないですし、慣れればそれほどでもありません。

◎ 大峰山の「奥駆」


その証拠に、大峰山の修験道における「荒行」と言われる奈良の吉野〜和歌山の熊野に懸けておよそ170キロメートルを修行しながら走破する「奥駆」も、いまや登山愛好家に人気があり、沢山の方が走破しています。


もう、行場という感じでは無くなっています。

もっとも、「修験道」では、直線で進むのでは無く、「奥駆」の途中にある各修行場で行をするので距離が長くなります。

修験道の「奥駆」と登山愛好家のコースは少し違う

まっすぐ行けば、約100キロ強ぐらいでしょうか。

まっすぐならクロスカントリーの選手などで、24時間で走破する強者までおられます。

◎ 東洋哲学人生講座(仮名)

ゆえに、四年前から神経学、脳科学、精神医学を踏まえ、神道、老子、孔子、密教を交えて「東洋哲学人生講座」(仮名)をやっています。
講座を主催している団体名はありますが、今はひかえておきます。
この講座は、シンクタンクや医療関係者向け医学講座などの他の事業を含め、財団化を目指しています。

宗教法人格を取ることは非常に難しいですし、
社会的な団体として財団法人を目指しています。

公益な社会団体を目指します。

もっとも、そうなるかどうかは、目指しますが分かりません。

第一回目の「NExT-Intelligenceへようこそ」にも少し書きましたが、
オウム真理教のテロ事件以来、日本人には「宗教アレルギー」が蔓延しています。

それで、「NExT-Intelligenceへようこそ」にも少し詳しく書きましたが、「人間の脳は、宗教観を求める」ものですから、「宗教」は形を変え、正しい哲学や教義の体裁も、道徳も無い、「スピリチュアル」が大流行というわけです。

いかに御利益を得るかが、テーマみたいですので社会性もなく、努力も必要ないし、お金もかからないですし、信者の頭の中の妄想は無限大です。
ですので、願いが叶うはずもありません。

叶ったとしても、小さな事で偶然です。

ただ、中には本当に霊的存在を感じる人も居るとは思います。

真性のこのような霊感の持ち主は、人口のごく少数です。

生まれつき足が速く、陸上選手になってオリンピックに行くような感じの才能です。

しかし、人としての生き方や道徳を教えないのです。

また、教える知識や教養も無いと言わざる終えませんので、身も蓋もありません。

これについては、「龍」をテーマに後日、記事を書くつもりです。
最初は患者さん中心でしたから、当然、悩みに答えるために始めました。

自分が、経済的に「食っていくのがやっと」というのであれば、他人に構ってる暇はないでしょう。

◎ 密教の現状

高野山の「密教」にしても中興の祖として有名で「伝法院流」の創始者にして「興教大師」の称号を天皇から授与された「覚鑁 上人」(1095年〜1144年)が、浄土思想と併せて提唱した「密厳浄土」という独自の理想社会。

1000年以上経った現代でも・・・実現していません。

実現していたら、今のような社会になっていません。

◎ 最初の密教「修験道」

修験道は、まだ、弘法大師 空海によって、本格的に日本に伝えられる前に朝鮮半島から伝わった部分的な「密教」である「雑密」と古代神道、道教、「雑密」を元として成立した山岳宗教です。

開祖は、有名な「役小角」(634年頃)です。

葛城の鴨氏の出身です。

滅んでいた「修験道」の再興者である「理源大師」の称号をお持ちになる「聖宝 尊者」(832年〜909年)であっても、再興した「修験道」が正しく伝わっているとは言えません。

「修験道」は、歴史上何度か滅んでいます。

「高野山」にしても、弘法大師の入定後、荒廃して誰も居なくなり、後に「念仏」を中心とした、「密教」とは関係ない「念仏衆」が住み着いていたこともあります。

これが「高野聖」です。

やはり、弘法大師の予言通り、一度、高野山は滅んでいます。

これについては、また機会があれば記事にします。

聞きたいことがあれば、コメントに書いてくださいね。

という訳で、

現代では、尚更、「僧」であっても、寺に閉じこもり、檀家を廻ってビジネスとしてやってるだけがほとんどで、布教活動をして人々の心を救い、社会を、国を変えるということをしていないのです。

それが現状です。

私は、微力ながら、社会人として、医学者としての経験からも、これらの事を変えていきたいと四年前から患者さんを中心に講座を始めたのでした。

◎ 科学、哲学、宗教(正しい)目指すものは同じ。


人の悩み、苦しみに関わるものは、医学も、科学も、哲学も、宗教(正しい)も、同じなのです。

医学者(実践するドクターや、基礎医学研究者、高度治療の開発者、エンジニアリング、薬学研究開発など)、医療に関わるの方々も、大学では政治的な要素で地位と権力を目指し、出世を目指す方もいますが、もちろん、患者さんを救いたいという思いを持った方は、日本の一般の「僧」より多いと思います。

◎ 時代に沿った考え方、教え、修行


今や、世界中に宗教戦争が絶えません。
中東の戦争は、ほとんど宗教戦争です。
誰が正しい神の教えであるかと言うことです。
大きなものと大きな世界宗教の宗教が、かれこれ西暦610年から1400年は戦争しています。

どれが正しいとは、私は公然と言える立場ではないので控えます。

1000年以上前の教えや戒律を、変化してしまった現代でも守ろうとすると、いろんな問題が生じてしまいます。

道徳や戒律もさることながら独自の解釈によって、輸血拒否や牛を食べないなどです。

だから、仏教でも三大世界宗教すべてに「〜〜派」というのがあります。

これらにも歴史と経緯がありますので、機会があれば書きたいと思います。

◎ 新しい時代に沿った新しい道徳と修行


私は、神道や仏教しか学んだことが無いという人間ではありません。
科学を学んだ人間でもあります。

ですから、客観的にこれらを観察できます。
とくに、日本では「道徳」が失われつつあります。
(第一回目投稿の「NExT-Intelligenceにようこそ」を参照ください。)

だからといって、1000年以上前のものをそのまま使うつもりはありません。
お釈迦様が看破された

「諸行無常」

と言う原則は、物理学に於いてもその理論は破綻しません。

簡単にいうと

「全てのものは、変化し続ける」

と言うことです。

科学も宗教も哲学も、変化、進化し続けて当然なのです。

最後に20世紀の天才理論物理学者のアインシュタインの言葉を、書いておきます。

「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教も欠陥がある」

今回はここまで。

長文お付き合いくださり、有り難うございました。







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