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そこに光が降りてくる 感想・考察③ 東京都庭園美術館 個々の作品解説
青木野枝さん『ふりそそぐもの』若宮寝室
作品の性質、動線から考えても、入り口からが1番見栄え良く見えるように制作されてるのは明白。何故ならば誰もが必ず【その視点から作品をみる】からだ。後でその画像は載せるが、それを見ればわかるが、赤の吊るされたガラスで視線誘導してる事がわかる。これはなかなか気づきにくい操作だ。この操作により、窓。つまり『外の景色』へと自然と視線が誘導される仕組みになっている。
前回のふりそそぐものでは半球が完全な球体になる事で、ふりそそぐものが何となく球体なのかな?というイメージは得られた。しかし、この作品では赤いガラスが吊るされてるだけで、いまいち、ふりそそいでるイメージは共有出来るが、何がふりそそいでいるかまでは読み解けない。
そして特徴的な照明の吊るされた脚の長さが、この作品を決定付けているフォルムだ。
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青木野枝 ふりそそぐもの 石炭
【石炭】だけ異質だ。
火を入れ、赤熱させ光を灯す素材。鉄も同様だ。
ここでも石炭→石を乱雑に積まれた、ともとれる。
あるいは石炭を燃やすと灰が生まれる。それが『ふりそそぐもの』ふりつもるもの。火山灰など。
展示室に灰を積む訳にはいかず、大きな固形物の石炭を積んだ可能性が微レ存。日本は火山大国。
または第二次世界大戦の空襲など、【爆弾】それにより燃えた日本木造建築。それは石炭(炭)と化しただろう。それらが積み重ねられているとも解釈できる。日本の犠牲。歴史。それに対するリスペクト。あるいは祈り。
しかし、あの近辺は占領目的があったのか空襲は免れ、東京都庭園美術館の庭園内の茶室は、戦前の物を残している。
そう考えると、青木さんが、その解釈で作品制作をしたかは怪しい。【爆弾が降って→建築が燃え、石炭ができる】??
しかし、改めて作品を見返すと無造作に余りにも多くの石炭が大量に置かれ、積まれている…。この作品の意味は、案外、アタリな気がして来た。この作品だけ特異な素材なのだ。この展覧会で。それには意味がある。
ただ、この青木さんという作家さんは、火を入れ、赤熱させ光を灯す素材、として【鉄と炭】の共通項について述べていた。
それがこの展覧会限定のものなのか、活動人生においての素材として多用する人なのかは、俺は知らない。
鉄との熱を入れた時の共通点で作品制作をして『ふりそそぐもの』とは如何なるものか。別に素材の選定の共通項であって、作品制作の理由づけである必要はない、のか。やはり、過去の展覧会で扱った素材かどうか知るのが重要だな。あの部屋、空間、建築、を作者がリーディングして制作した。それはあるいはあの邸宅?の持ち主だった王族に思いを馳せたか。時代に思いを馳せたか。
時代に思いを馳せると考えると、当時のエネルギーは1960年代に、エネルギーの中心は石炭から石油へと移りました。とある。
燃え盛る炉→火🔥の中に放り込まれる石炭。
【放り込ままれ→宙に浮き→降り積もる】時代の変化。エネルギーの変化。木材資源やCO2に対する自然環境への警鐘。哀愁。
現在はあの建築物の暖炉は閉ざされ、内部は機械化されたストーブが設置されてるのが垣間見えるが、当時は、最初は違ったのではないだろうか?では、この建築から不必要とされた石炭に対する何らかの感情・想いがあの作品に込められている可能性も否定しきれない。あの部屋には暖炉は無かった筈だが。多分。または、家族の時間、思い出の蓄積、暖炉を使用した回数、日々、年月を思わせる。
なかなか、解釈を絞らせない、素人には難しい作品。
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