「ずっと好きなもの」がある尊さ

約3年前、V6が解散した時に「昔からのファンが羨ましい」と思った。

好きな対象が消失する悲しさや虚無感は身をもって知っているから、言葉選びが難しい。でも、大抵のものはいつか絶対に終わりがくるからこそ、自分が好きだと思えるものを最初から最後まで「好き」でいられた人たちのことを、心底羨ましいと思うし尊敬する。

私が初めて好きになったアイドルはV6だった。でも、すでにデビューから時が経っていたし、かつてのファミリークラブに入ることもしていなかった。その後、高校生になって嵐に熱中して、心から好きだと思えるものがあることの素晴らしさを実感した。

さらに時を経て、2021年。V6の解散が報じられ、最後のコンサートが配信されると知った。迷わず配信チケットを買った。コロナ禍で無歓声の幕張メッセ、揺れるペンライトに囲まれて歌い上げられるバラードでの幕開け。その光景を画面越しに見た瞬間、胸が詰まった。なんて尊い瞬間に立ち合わせてもらっているんだろう。26年間走り続けた彼らと、彼女たちにとっての大切な日に混ぜてもらっている。そんな気持ちになった。

そして、強烈に「羨ましい」と思った。デビューしたメンバーが誰ひとりかけることなく、大きな問題に見舞われることなく、選んだ幕引きが解散。そこには、ファンに対する最大の誠意があった。
きっと、彼らのことを26年間、もしくはそれ以上長い間好きでいた人は少なくない。もしかしたら、こう言われてもいい気はしないかもしれない。でも私は、心から羨ましいと思う。

どんな対象であれ、好きになるタイミングは人それぞれ。何かを好きになる度に感じる「昔のあれが見たかった」「過去のこれに行きたかった」という歯痒さ。でも、その対象のあらゆるシーンに立ち会えるのは「ずっと好き」でいる人の特権だと思う。好きでいる期間が長いから、昔から好きだったから偉いと言いたいわけではない。何かを好きになるのは簡単なことじゃなくて、なろうと思ってなれるものではない。そしてそれを好きでい続けることも難しい。だからこそ、それができている人へのご褒美みたいなものだと思う。

だからこそ私は、何かを「ずっと好き」な人を羨ましいと思うし、尊敬する。「推し」という言葉ができて「新規・古参」というラベリングが当たり前になった今、時に古参は煙たがられる存在とされる。でも、本当はとても素敵な、尊敬すべきものだと思うから。私はこれからも「いいなあ」と、好きなものを持つ人たちのことを見て思うんだろう。

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