根性論は嫌いだけど、実際は割と気持ちの問題なんじゃないかと思う事も多々
今や、過去の産物と成り果てつつある一つの論。
「根性論」
この論が姿を消しつつあるのは、時代変化が大きいと思います。
実際、僕が学生の頃根性論なんていう教員はいなかったような気がします。
仮に、いても確実に生徒からヘイトを買うだけになりますし、先生たちもわざわざとんでもなく大きなリスクを負ってまで、演説したくはないでしょう。
一昔前では、割とポピュラーな考え方だったのです。
そういう考えや気持ちの持ち方で育った方達は、今かなりの年齢かと思います(失礼ですね)
今の教育現場がどうかいまいち分かりませんが、おそらく、先生方は一度は思うと思います
「もうちょっとやろうや」
宿題、勉強、スポーツ、どの面においても今の子供達の現場は、諦めや、投げ出すのが早いような気はします。
まぁ、子供なんでね仕方ないでしょう。
と思いつつも、〜だから仕方ないって考えるのはナンセンスな気がします。
実際そうなのかも知れなくても、なんか、それでいいのか?って思うのが正直なところです。
少し脱線しましたが、本題に戻りましょう。
一体どういう時にその「論」が、あながち間違えではないと思うのか。
まさに、その勉強や、スポーツに対する姿勢に、熱を感じないのです。
勉強や宿題はまぁいいでしょう。
やる気は、めんどくさくても、後からやる方がめんどい事をわかっているので、いいのですが、問題は“好きな事”ですね
好きな事でさえ、ほんの少しの熱を感じないのです。
自分で蹴ったボールを自分で追おうとする子は、少ないです。
根性論と言っていますが、要は、気持ちの程度なのです。
それが、とても薄いと感じます。
いや、君が勝手に蹴ったボールは、誰も追わないよ。
自分で行くんだ。蹴りたくば。さぁ、早く。
とずっと思います。
今や、熱を持っている方がまともじゃないのか?
わからない。
少なくとも、子供はいつの時代も変わらないと思いたいもんだ。