老い駆ける
最近よく散歩をする。逃げるように散歩し、群れからはぐれた様に散歩する。
先日、新橋駅で友達からコントの小道具を借りる約束をした。
ちょうど、東京駅で用事があったので、「新橋から東京駅まで散歩できる」と嬉しくなった。
友達と合流し、ブツを受け取り、そのまま、銀座にある友達の職場までついて行った。
友達は、僕のnoteを読んでくれているので、「ちゃんと毎日7時起きしてる?」と聞いてきた。僕は、間髪入れずに「全然」と答えた。笑ってた。
その後、「これから寒くなるもんね。」と言われ、僕はゾッとした。
忘れていた。日本はこれから寒くなるということを。忘れていた。四季の存在。冬の訪れ。
人間は寒いと起きれないということ。人間を食い殺すあの熊だってずっと寝てるくらいなのだから。
そう考えると、「春の熊くらい好きだよ」という口説き文句は素晴らしい。めっちゃ好きだよ。あなたのこと。伝わってくる。
となると、寒さは、冬の熊くらい嫌いだ。
もう僕は、無理かもしれない。そう思いながら、友達を職場へ見送り、散歩をはじめた。
行列の店
1人で東京駅へと、ブラブラする途中、開店前にもかかわらず、列がある店があった。看板を見ると、「HERMES」とか書かれている。
一瞬、間があって、あ、これが「エルメス」という店か。ブランドの。名前だけは知ってました。初めまして。となった。
なるほど。「HERMES」は頭文字のHは発音しないで「エルメス」なのか。知らなかった。
そのエルメスの店の前には、朝から暇そうな人が並んでいた。
その中に、ベビーカーを揺らしながら待つ、お腹の大きい妊婦のママさんもいた。
撤回した。全然、暇そうじゃなかった。そんな身重で、開店前から並んでまで欲しい商品とはどんなものなのか。
だが、興味は、さほどそそられなかった。僕には関係のないものだ。
むしろ、「HERMES」という名前について考えていた。
なぜ、「H」を言わないのか。昔は言っていたのか。いつから言わなくなったのか。何かきっかけがあったのか。
エルメス。きっと男の名前だろう。
思春期真っ只中のエルメスは、絶対に「H」なこと言ったはずだ。僕だってそうだ。男はそうだ。そういう年頃だった。
そうすると、あの頃は、エルメスは「ヘルメス」だったはずだ。あの頃は、Hなことを考え、Hを発音して、完全に「ヘルメス」だったに違いない。
ただ、そんなことでは異性に、引かれてしまうことににすぐエルメスは気づいたはずだ。
Hを発音しなくなると、すぐに彼女ができたと思う。たくさんの女性が寄ってきたはずだ。
見た目のいいHERMESは、女性からモテる。最初こそ緊張したが、すぐに慣れていく。
「エルメスくん素敵」「うん」
別に否定すらしなくなっていた。
大人になるにつれて、頭はHでも、わざわざ口に出すことは無くなっていった。
これがが大人のハイブランドだから。紳士的に振る舞わなければ。全てうまくいってるんだから。そう自分に言い聞かせて。
たくさんの女性と関係を持つが、満たされない。本当の自分を曝け出していない感覚。誰も、自分の頭のHをなかったことのように扱う。
そんな中、1人の女性と出会う。
化粧気のない、ヤボったい髪をひとつしばりにした女だ。普段まわりにいる女性とは明らかに違う。
なじみのバーでたまたま出会い。いいムードになって、そのままホテルへ。
ここまでは、エルメスにとって、よくあることだった。
いつものようにエルメスとして振る舞おうとするエルメス。
なのに、なぜかうまくいかない。封の開いていたウェットティッシュのように乾いたやりとりが続く。
今までこんなことなかったのに。
僕がエルメスであるだけで、女性は満足していたのに。
すると、じっとエルメスを見つめながら彼女がいう。
「なにか隠してない?」
「どういうこと?」
「本当のあなたを見せて」
「え?」
「隠さなくていいよ。あなたの名前は?え、これ、なんて読むの?」
「名前?」
「ヘルメス?」
エルメスは心底驚いた後、「不正解」と微笑みながら、彼女とくちづけを交わした。
とか、そんなくだらないことを考えていたら、正面から来た自転車に轢かれかけた。
ヨボヨボのおじいちゃんが乗っていた。
危なかった。
エルメスだか、ヘルメスだか、なんて考えてる場合じゃなかった。
おじいちゃんの自転車が対面で向かってきた時、こっちが避けた方向へ、追尾して避けてきた。
あの現象はいったい何なのだろうか。
わざわざ、ぶつかりにきてるとしか言えない。
あの現象に名前が欲しい。
同じタイミングで相手に気づくが、反応がおそくなってるので、相手が避けた方へ、後から避けてることに気づかない老化現象。
「追いかけてくる」し、「老い」が「駆ける」ので「老い駆ける」とかどうだろう。
うん。銀座で、老い駆けられた。
じきに、みんな、ああいう風になるという意味でも「老い駆ける」とは、いい言葉かもしれない。
そんなことを考えながら、東京駅へ着いた。
子どもの死んだ目
東京駅では、高速バスのチケットを払い戻しする用事があった。
受付へ向かうと、職業体験をしている小学生がいた。窓口にいる男性の後ろに、3人の制服を着た子供が座っていた。少年2人、少女1人だ。
窓口の男性はプロだ。
向こうもプロとして、職業体験の子供にいいところを見せたいはずだと思った。
ならば、こっちもプロのカスタマーとして振る舞わなければ失礼だと感じた。
子供たちが、僕と係員のやり取り一挙一動に、目を凝らすと思い、勝手に緊張が走った。
気づけば、第一声も張っていた。「あ、あの!チケットの払い戻しをしたいんですけど!」
ちょっと裏返った。
すると「チケットをご提示ください」と間髪入れずに返す窓口の男。
僕は、すかさずチケットを取り出すと、流れるように受け取り、「クレジットカードもご提示ください」と伝えられた。この間たった数秒。
このタイムラグのない、言葉のラリー。お互いが同一のゴールへと、向かっていく感覚。
僕は「どうだ?見てるか?少年少女!?これが受付の業務や!この職員はプロやで!」と後ろに座る彼らに視線を向けた。
全員、虚空を見つめていた。それぞれが、三者三様の虚空を見つめていた。ある者は床付近の虚空。ある物は、天井の虚空。ある者は、自身の爪の先の虚空。
虚空ってこんなに種類があるんだと思った。
誰も、こちらなんて見てなかった。
子どもの死んだ目。今、この場で1番若い人間の死んだ顔。あの顔。
あの、つまらなそうな顔。久しぶりに見た。子供だけに許される特権的な顔だ。
「ぼんやり」としか言いようのない、生気のない顔。
思い出した。自分が小学生の時の微かな記憶。
そういえば、職業体験なんて、全く面白いことではなかった。
それなのに、大人は、職業体験の素晴らしさを子供に押し付けていた。
「こんな機会、滅多にないから」
「普段見られないんだよ。大人の働く姿なんて」
今も昔も、普段見られないものは、別に見なくても暮らせると思う。
大体、見て学ぶなんて芸当、モチベーションのある人間にしかできない。
寿司職人になりたいから、仕事を見ていられるし、見て盗めるのだ。
受動的に「見させられる」が一番退屈だ。
「職業体験してみてどう思った?」と聞く側。
無理やり、感想文を提出させる側。
僕は、知らず知らずにそちら側へ肩入れしてしまっていた。
なにがプロのカスタマーだ。
ああ、ついに、僕も大人のエゴを子供に押し付ける側になってしまった。
老い駆ける側になってる。
ああ、あの時みたいに、Hなことでも考えようかな。