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カムバック元気。ランニング&サウナ。

28歳。男。痩せ型の記録。

最近また、ランニングをはじめた。ランニングシューズまで新調し、猛暑の中、家のまわりを一周することから始めている。

「若さ=元気」だとすると、数ヶ月前の自分は、ヨボヨボの爺さんだったかもしれない。

今はもう、18歳の青年の気持ちである。心のベンジャミン•バトン現るといったところである。

ランニングするようになって、思い出したのだが、自分の人生は、走っている時は、物事が全てうまく行っているイメージがある。

走ることには、厳密には、うまく行ってなくても、決して「後ろ向きにならない」という効果があると思う。

物理的にも精神的にも、前進あるのみと言ったところかもしれない。心が後ろ向きな感情に支配されなくなるのだ。

高校生の頃なんかは、テニスの試合で負けて悔しい思いをしたら、どんなに疲れていても、気が済むまで家の周りを走っていた。

上り坂を「クソクソクソクソクソ」「死ね死ね死ね」「ちくしょうちくしょう」「なんでこんな目になんでこんな目に」と絶叫しながら、歯を食いしばって、目をひん剥いて、激走していた。

口では、恨み言を吐きつづけ、全力疾走を続ける。

すると、脳内では、どうにも「苦しい」「キツイ」「つらい」しか考えられなくなる。

他の思考を挟む余地がなくなって行くのだ。

最近は、ライブとかでスベッたら、高校生ぶりに「クソクソ」言いながら、ダッシュすることにしている。

ただ、高校生の時より、体力がないので、すぐさま、息も絶え絶えになる。

もうそれが、もどかしくて、もどかしくて、余計に「クソクソ」と体ではなく、恨み言だけ加速することになってしまっている。

そして、なによりも、一番、悔しいのは、すべったこと以上に、そもそも、元気なのに、ネタが全く書けない日常が続いていることである。

もともと、ネタを書きたくて、この世界入ったのに、なんで書けないのだろうか。

アイデアは思いつくけど、前みたいにうまく形にできないのだ。頭の中にドライアイスのようなモヤがかかっている感覚で、思考の細部をじっと見つめて全体を組んでいくことができない。

思考はそのまま霧散していき、何も残らない。ため息ばかりが募る毎日である。

これだけ書けない現状を描写できる文章力があるのに、なんでネタは書けないんだよ。アホタレ。

最近、この不調の根本原因はなんなのかと、たくさん本を読んで答えを探した。

これは、いわゆる、スランプというやつなのか?それとも、何か別の症状なのか?

そして、一番、納得できた答えが、自分でも、もう笑ってしまうのだが、、、

実力不足」であった。

本当、もう、めちゃくちゃ恥ずかしい。

ある本に書いてあった「スランプなんてない。ただ、下手なだけ」と「君は自己採点が甘いだけ」というアンサーに面喰らってしまった。

どうやら、人間は、自分ができると思っていたことが、できない方がショックが大きいらしい。

そこで嫌になってしまう人が多いという。

僕は、どうやら、自分はできるという根拠のない自信を可愛がりすぎていたらしい。自己肯定ムツゴロウが我が身をヨシヨシしすぎていたらしい。

元々、できなくて当たり前と思いながら、励むのがいいらしい。そうすると、できないなら、できないなりに、人に頼ったり、問題点を別のアプローチで解決しようとするという。

まぁ、現状、書けないものは書けないとわりきって、それでも書くしかないということだ。

これは、徐々に時間をかけてやっていくしかない。

本で答えを探す傍ら、この数ヶ月、僕は、元気になるために、暇を見つけては、明治神宮にお参りをして、神に全てを委ねることにも精を出していた。

努力をしたくない、神にすがることしかできない人間ってのも世の中には一定数いるのだ。

それが僕だ。

働きアリだって、働かないアリがいるのだから、念仏を唱え続ける「祈りアリ」がいたっていいじゃないか。

人生の指針がほしいので、僕は、お参りすると必ず、おみくじを引いていた。

すると、その度に「謙虚でいなさい」「驕るな」という、おみくじが出まくった。

もはや、このおみくじは、なんらかのクーポン券で、替え玉か味玉でもトッピングできるのかと思うほどであった。

そして、ここが面白いところだが、このおみくじの内容は、すでに不調に関する、答えを何度も与えていたのだ。

後になって、気付くのだが「スランプなんてない。ただ、下手なだけ」「自己採点が甘いだけ」とは、つまり、「謙虚」「驕るな」に通じる内容なのである。

神も捨てたものではないのだ。ちゃんと真理を説いている。

ありのままを受け入れ、できないなりにやりきって、謙虚にたくさんスベるしかないということである。

ああ、嫌や。そんなん。ね。キツイよね。

スベれば、スベるほど、鬼のような形相で「クソクソ」言いながら、ダッシュするしかないじゃないか。

近隣の住民から、通報が入るのも時間の問題じゃないか。

顔を隠せばいいのだろうか。

そうしたら、いいのかな。動物のマスクとか被ろうかしら。

そしたら、子供達からも人気になったりして。

カモシカのお面でもかぶって、走ろうかしら。

いずれ、猟友会が派遣されるその日まで、アスファルトを跳ね続けることにしようかしら。

そういえば、先日、ランニングのように、他に何も考えられない体験をした。

サウナである。

後輩芸人のマサキオンラインに誘われて、一旦岡崎という後輩芸人と3人で、赤坂にある「サウナ東京」なる施設に行ってきた。

マサキは、この数ヶ月元気のなかった僕に、健康になってほしいと思い、サウナに誘ってくれた。

ありがとう&ありがとう。

僕自身、本格的なサウナの経験がなかったので、サウナ専用の施設ということで楽しみにしていた。

「サウナ東京」は男性限定の施設であった。

入場すると、中にはサウナを愛する男たちが、ワラワラとひしめいていた。

僕の予定では、サウナに入りながら、後輩たちと、「キツイね」「俺もう無理かも」「僕まだまだいけます」「ひゃあ。水風呂キモチェ〜」なんて言いながら、ワイワイ楽しむかと思っていた。

しかし、サウナフロアは「完全黙浴」というルールであった。まったくお喋りができない。

完全に、予定が狂ってしまった。

男同士、裸で語り合う夢はあの空間にはなかったのだ。

あるのは、汗だくの男の矜持だけ。

どれだけ自分と向き合えるかという精神のみであった。

話せないというルールなので、3人は「2年後シャボンディ諸島で」という合言葉で、それぞれがそれぞれの「サウナ→水風呂」のルーティーンへ旅立つことになった。

「サウナ東京」には数種類のサウナがあった。個人的には、どれが1番良いとかはなく、どれもキツイだけであった。

サウナは、本当につらい。頭の中は「暑い」「きつい」「苦しい」しかなくなる。過酷な環境なので、むしろ自分でペースを決められるランニングよりきついかもしれない。

あの環境で、例えば、「老後が不安」なんて考えることは不可能である。

冷静にそんな場合じゃない。老後2000万問題とか、将来、年金がもらえないんじゃないか、とか、あの過酷な湿度の中、考えられる奴は、既に、なんの心配もいらない強い精神をもっている。

昔のヨーロッパの貴族は、暇のせいで、精神を病んだという。労働者階級は日々の労働に精を出すことで、悩む前に疲れていたらしい。

暇も多すぎると毒になると思う。

ランニングなり、サウナなり、「今」しか、考えられない環境に自分を放り込むことは大事である。

そして、サウナの後、後輩と3人でお酒を飲んだ。

僕は普段、健康のため、アイデアのために、酒は飲まないようにしているのだが、久しぶりに飲む酒は本当に美味かった。

別に、生活の中で、何にも勝ってはないのだが「勝利の美酒」という気分がした。

そして、帰りに、今度、ネタを書くのを手伝ってほしいと後輩にお願いした。2人とも快諾してくれた。

そして先日、ネタづくりを手伝ってもらった。2人とも本当に面白いなぁと思った。すごいよ。2人とも。

このネタが、ウケなかったら、もうカモシカのお面を買います。それ被ってサウナにいきます。

また、書きます。

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