わたしのおじいちゃん
ふと、祖父のことを考える。
あらゆる布を煩わしく感じるような猛暑日でも、祖父はいつも「寒い」と言い長袖に毛布をかぶっていた。
クーラーは入っているが、熱中症にならないか心配になる。世話焼きな祖母が定期的に声をかけ、ポカリを飲ませているから大丈夫か……。
布越しに浮かぶ、骨と皮になった腕や脚を見る度に、いつの間にこんなに痩せ細ってしまったのだろうと心がくにゃりと歪んだ。
バスの運転手をしていた祖父は、私が生まれた時には家にいた。
車で5分のところに住んでいて、0歳〜7歳まで一緒に四国巡礼をし、多くの時間を共に過ごしてきた。
カメラを首から下げ、手すりを使い、ゆっくりゆっくり階段を登る。
階段を駆け上がり「おじいちゃ〜ん!」と手を振り叫ぶと、立ち止まりゆっくり大きく振り返してくれた。
脳梗塞で右脳が死んでしまった祖父は、何をするのも周りよりゆっくりだ。
いつも最後尾を歩き、度々立ち止まってはカメラを構える。
後ろを気にして歩きつつ、時々見失っては立ち止まり待つ。少し大きくなってからは同じ速度で。
足腰が弱まり、杖をつくようになってからは後ろで。
そうして祖父と歩いてきた。
ゆっくりと、でもしっかりと。
地面を踏みしめて歩く祖父の姿を、今でも鮮明に思い出す。
お彼岸がそろそろ終わってしまう…とぼんやり思っていたら、日付けが変わり21分が経過していた。
私はお彼岸とお盆が好きだ。
亡くなった人との距離が近くなり、遠くなる。
「おかえり」と迎えて「いってらっしゃい」と送り出す。
確かにそこにいると感じられるこの期間に、度々心が救われてきた。
昨日やっとお墓へ行き、頭から水をかけ、もう寒いかなぁと話しかけた。
父ちゃんが寒い寒いと言っていたのが分かるようになったと話す祖母に「お願いだから長生きしてね」と、元には戻りきっていない心の中で呟く。
蛾だろうが蛙だろうが勝手に魂を宿らせ「おじいちゃん」と呼んでみた。
もうちょっと可愛く生まれ変わらせてあげてと言う母に「虫になって、みんなのことを見守ってるんよ」と柔らかい声で祖母が笑う。
つい数日前まで猛暑だった日々を、もう忘れてしまいそうな涼しさだ。
"暑さ寒さも彼岸まで”
ほんとにそうだなと思いながら、またねと祖父に手を振った。
ゆっくり歩き出すと、祖父も隣を歩いてくれているような気がする。
おじいちゃんも私と同じように、お彼岸とお盆を楽しみにしていてくれたら嬉しい。