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書評:『再考 ファスト風土化する日本 変貌する地方と郊外の未来』(0)



0.著者について

 『再考 ファスト風土化する日本 変貌する地方と郊外の未来』が出版されたのでその書評にチャレンジしたいと思った。著者の三浦展は、1958年新潟県生まれで、マーケティングリサーチや社会デザイン研究を専門としており、『人間の居る場所』何度かnoteでも触れてきた著者である。主に、消費社会、家族、若者、階層、都市、郊外などを対象に次の時代の社会デザインを思案している。

『再考 ファスト風土化する日本 変貌する地方と郊外の未来』.三浦展.光文社新書.20230419

1.書評を書くにあたって考えておきたいこと

 そもそも書評とは何か。文字どおり書物の批評である。批評は批判と評価。では、書評の意義はいかにして求めることができるのであろうか。本文を書いてみる前に、なぜ書きたいのだろうかという部分を整理しておきたい。

 書評の意義を考えるために、研究活動の意義を下敷きに考えてみる。研究活動をただの趣味の範囲に押しとどめるのではなく、価値あるものとして確信を持って取り組む上で検討されるのが意義の検討であり、一般に3種類の意義に分類される。


1-1 個人的意義

 第一に個人的意義である。これは自分が扱う対象や対象を媒介とした活動が自分の興味・関心や成長につながることを意識できているかという観点である。何かしらの本を読むとき、本の内容を要約的に説明し、自分なりの感想を付け加えて読書感想文とすることはよく行われている。
 
 検索すれば本を読まなくても他者の感想を手に入れることができる便利な時代であり、AIの発達も目まぐるしく、本文を読み込ませればそれなりの抜粋はできるようになってきている。(内容の再構築などは少し難しそうというか、要約した内容をもとに着想するには人間の問いかけが求められる印象)
 
 しかし、読書感想文のレベルだと本(=社会的な価値を認められた出版物)の内容で自発的に自分を感化させたり情報としてインプットしたりする自己完結的な域を出ない。そうした状況に際して、これまで「じゃあ自分はこの本を読んでどのような知見を得て、それを発展させて自分から他者に新たな情報共有を価値づけられるアウトプットを作ることができるのか」というモヤモヤを抱えていたことは認めざるを得ない。

 そこで、本項では対象となる本とできるだけ適切な距離感を保ち、メタな視点から書評、すなわち書籍の批評をすることを通して、まがりなりにも自分発信で影響力を発生させる素地を作ることを試みたいと考えた。

 そうした問題意識と本書の相性はというと、本書に登場する人物の中には個人的にお会いしたことがある方もいるし、三浦展や轡田竜蔵をはじめとするカルチュラルスタディの分野の本は読んだことがあるし、島原万丈の講演会にも出たことがある。また筆者は映像が苦手であるが、山内マリコの映画『ここは退屈迎えに来て』は試聴したことがある。また、第二章で出てくる書き手はそのほとんどが建築人である。つまり本書の内容を詳しく知るために一から勉強する必要はなく、ある程度知ったふりをした上で考えを展開できると考えた次第である。本稿で書評を行う個人的意義はこのあたりに求めることができると言えるであろう。

1-2 社会的意義

 第二に社会的意義についてである。社会にとって何の役に立つのかという視点である。研究活動では社会的意義は直接的にその研究論文の内容が役に立つというよりは、その論文の発展可能性を示すことが求められることが多いと考えている。初めての試みでどこまで効果を発揮するかはわからないが、書評が持ちうる社会的意義について、その可能性に着目することは悪くないことだと思われる。

 今回の本は1人の執筆者によって書かれたものではなく、本の内容が羅列的になりがちであり、それぞれの内容を束ねてまとめとしたり、あるいは執筆者間の交流が存在しない場合もあるため(数字的に考えると、例えば13人がそれぞれ2人組、3人組で座してディスカッションをするだけでも362通りの人の組みあわせがあるわけで、テーマに関して接点を持ち、考察を深めて文章化することは難しい)、執筆者間を第三者目線で架橋するという働きを持つ可能性がある。

 また、これはYoutubeなどでもよく行われていることだが、書籍の価値の核を見据え、情報として発信するという意義もあるだろう。とはいえ、そうしたチャンネルでの内容は要約したものに過ぎず、本を読むのが得意な人にとってはYoutubeに頼らず本屋さんでの立ち読みで済ませることが可能なのも事実。しかし、自分もそうだが、新書という書籍の形式は、比較的短時間で読むことを可能にすることを重視したものだが、目次を読んであとがきを読み(ちなみに本書にあとがきはない)、気になる部分にだけ目を通して速読で終わらせるということはよくあるはずである。ゆえに批判と評価を内包する書評が読者と本の関係者を架橋する可能性があると言えるだろう。

1-3 学術的意義

 第三に学術的意義についてである。これはその分野で研究や活動に取り組む研究者や学生の役に立つかどうかということ。分野における有益で新たな知見を見出せるかといった視点である。執筆する中で見つけられたらかくつもりだが、今回の内容は研究ではないので、学術的意義は社会的意義の中に吸収されるのだろうか、と、しておこう。

本書の概要

 タイトルに「再考」とあるとおり、本書は2001年『ファスト風土化する日本』というファストフードと掛けたキャッチーなタイトルの書籍の続編である。日本中の地方のロードサイドに大型商業施設が出店ラッシュとなり、地方の固有の風景や歴史などが蔑ろにされ、風土が均質なものとなっていったことを指摘すると言った内容であったと記憶する。

これを再考する経緯となったのは、ファスト風土論に関して修論を執筆する学生の存在や講演の依頼があったことから、筆者自身にファスト風土に対する周囲の関心の触れ込みがあったからだという。

また、前作の出版から約20年経過しており、かつてファスト風土に関心を持った現在の40代を「ファスト風土第一世代」、修論に取り組んだ学生をはじめとする現在の20代を「ファスト風土第二世代」と冠して両世代間の価値観の際に着目するという示唆的な企画も含み持った発案となっている。

構成

 構成は、第Ⅰ部が映像論、若者論、まちづくり論などのファスト風土各論と言った体をなし、第Ⅱ部が異質な人が混在し、コミュニケーションしたり、街に個人がコミットしたりする都市の魅力としての「人間の居る場所」論が描かれ、第Ⅲ部で最新の脱ファスト風土的な開発まちづくりの事例を取り上げつつ、新たな動向を想像している。

 …と、この辺りでそろそろ3000字が近づいてきた。ひとまず本稿はこれで終わりとし、具体的な書評については次のnoteに託すとする。

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