ボランティアと仕事、連続初対面
先月の土曜、初対面の方と会い、ちょっとした食堂にてランチ。
時間は足りず、同職とはいえ違うフィールドということで、こちらの相談の内容があちらへの助言になったり。改めて前任者の凄さを思う。ここの仕事が出来て良かったし、前任者、前々任者がせっかく築いてきたものを自分の代で悪い方へ変更したくない気持ちがたくさん。すごいのも頑張ってきたのも自分ではないことの口惜しさと微かな誇らしさ。素晴らしいものを素晴らしいまま保持することは難しくて、価格高騰の波にさらわれそうになる。
翌週の土曜も、初めての人たちと共に作業。作業そのものは他の初心者さんに比べれば慣れている、けれど、初対面は得意ではなく。集合場所へ向かいながらどこまで自分を出すか考える。最終的には考えていた通り(笑)、私なりにどこまでもさらけ出してめちゃくちゃ良い方向へ向かう。話が独り歩きしそうになり、慌てて止めてみたり。仕事とボランティアの境目を見た。私は何がしたくて、どうやって生きていきたくて、稼いだお金を何に使いたいのか。収入と支出のバランス。何が仕事になるのかわからないし、あの人とそれについて話してみたいなとも思う。でも、躊躇もする。もちろん。
そして、口に出して聞いてもらう事、いいじゃんってただ言ってもらう事の重要さを実感した。感謝と、尊敬と、また会いたいと。上手く言えない。きちんと、私がしてもらえたように、彼女の話を聴くことができただろうか。あんなふうになりたいって心の底から思った。羨ましいなんておこがましいし、おこがましいって言葉をあんなに自然に適切に使う人が世の中にいるんだ。全然押しつけがましくなくて、それは短時間だから見えなかった部分ももちろんあるんだろうけど、参加して良かった。
悲しい話を聞いて怖くなったのは自分の特性なんだと思う。染みていきやすい体質。感情。良いとか悪いではなくて。良い意味付けが出来る時もきっと来るよね。
そして、偏差値とか調べちゃって嫌な自分を発見。かつてより気にしているような気もして、自分の嫌いなところ。そういうところで判断なんてしたくないのに。でも、ああ、やっぱりなぁなんて思っちゃうんだよな。
優しい人ばかりで居心地が良かったのは、それも関係してると思うんだ。立地とかさ。出身とか。ある程度は影響しているようで。
入院は忘れたいことだったし、なかったことにしたかったけど、『地獄でした』って聞いて、今も最中にいるひとたちのことを考えた。自分が満ちていないと他人を思いやる事なんて私には出来ない。なんならちょっとした優しい声掛けすら出来ない、出来損ないな私。でも、それが、私。
これらの非日常を噛み砕くために話を聞いてもらったりしながら、その後も連鎖的なように似た事象が起こり、流れに乗ろうかと思ったけど今、一旦踏み留まってる。自分の気持ちを置いてけぼりにしないために。私のやりたいことってなんだったんだっけ。運命みたいなものに乗るのも良いけど、今はちょっと待って、って思ったから。しっくりきたらちゃんと進むよ。
ほんとうだよ。
しかも多分その方向へ進むよ私。
だから少し待ってて。