「そもそも格ゲーって何が面白いの?」という根本的な問い
身の回りで格ゲーを一緒に遊んでくれる友達は相変わらず皆無であるわけですが、それは言い換えると、格ゲーを遊ぶ楽しさを伝えられていない or 格ゲーで遊ぶのを面白いと思わない人しか周りにいない、という状態であるわけです。
一方で、彼らは Splatoon 3 では遊んでいるのですが、格ゲーに対してこれはなぜ遊ばれているのかをちょっと考えてみたわけです。ちなみに遊んでいるのはガチではなくナワバリとサーモンランだけ。
フィールドを染めていくというある種の快感
ナワバリバトルというのは、あるいは陣取りなんですが、自分の勢力の色で地面を塗っていくだけである種の楽しさがそこにあったりします。塗ればその分だけポイントも貯まるし、その塗りの総量で最後に評価されたりもするし。
3 Waves 耐えるディフェンス。かつ倒したボスからドロップするアイテムを確保するという協業・目標
サーモンランとはある意味モンスターハンターみたいなもんで、仲間と一緒に苦難を乗り越えるみたいな co-op です。それも毎回毎回異なる展開になり、練度とともに難易度が変化し、そしてやっぱりこれもある程度まではポイントが貯まって報酬へと変わる。
どちらにしても、最終的な単なる勝ち負け・成否以外に、そのゲームを遊ぶプロセスを楽しんでいるため、あるいはそのプロセスやら報酬を楽しめているため、遊ぶゲームとして Splatoon が選ばれているわけです。
対戦格ゲーにおけるゲーム中の楽しいプロセスとは
単なる勝ち負けだけを見るのではなくて、その対戦の途中で攻撃を当てたとか上手くガードしたとか投げたとか、そういう対戦のやりとり、読み合いが楽しいのかなと思うのですが、そもそもそのように直接ダイレクトに攻撃を読み合うみたいなプロセスを楽しく思わないのであれば、それは格ゲー適性がないと思うわけです。
「単に相手キャラクターを殴ったり蹴ったり投げたり、それをガードしたりという行動が根本的に楽しいのか?」という話です。Splatoon (のナワバリバトル)であれば、単に「床を塗ってポイントを溜めて(評価されて)……」というプロセスだけで漠然と何か楽しい事は分かる気が、伝わる気がするのですが、特に対戦の格闘だとかそういうのに興味のない人に対して「技を出し合って上手く当て合う」ことについて、格ゲーの(その試合中のプロセスの)面白さを伝えるのって、もう無理なのでは、とか思ったわけです。
それじゃなんでスマブラは面白いんだよと言う話
デフォルトルールのスマブラを考えます。まず、スマブラ自身が超有名IPのキャラクターばかり寄せ集めたものなので、そのキャラが普段組み合わさることのない別の作品(しかも格ゲーでないことが多い作品!)のキャラと同時に動いていることがまずそれだけで面白いのかなと思います。
また、そこには強力なアイテムがあります。単にスポーンするアイテムを手に入れて、それを適当に使うだけでもゲームは進んでいきます(特に、アシストフィギュアだったりモンスターボールだったりは(勝手に対戦相手を攻撃していく傾向が強いため)ゲームを進める力が顕著です)
そして、強制的に2~3分で終わり、引き分けだとしてもサドンデスでまた強制的に決着が付きます。なんとなくアイテムを拾うように狙って動いて、そしてサドンデスになったら撃墜されないように気をつけて動いて……という微妙に消極的な動きでもそれなりにゲームになっているところも優秀なのかなと思います。
自分から積極的に能動的に、他のプレイヤーへ攻撃を仕掛けに行こうと考える必要が必ずしもないことは、たぶん対戦ゲームが不慣れな人にとってはとても助けになるルールであるはずです。
積極的に相手を攻撃しに行く前提、という難しさ
Splatoon もスマブラも、積極的に、アグレッシヴに直接対戦相手を打ち倒しに行かなくても、間接的に攻撃を仕掛けることが可能なデザインになっています。ただアイテムを狙って拾って使うだけ、ただ床をひたすら塗って(そしてパワーが溜まったら)漠然とスペシャルウェポンを使うだけ、みたいな。
直接の攻防が発生する格ゲーは、まず積極的に相手を打倒しに行く気持ちが必要で、そしてただ打倒すると言うことだけには特別な面白さが付与されていません。そのようなプリミティヴなゲームはやはりどうしても、他の娯楽と比べたらプレゼンテーションが難しいと言うことになってしまうのでしょうか……?
(まぁ、実際プレゼンが難しいのでSplatoonやってる友達に格ゲーやろうぜと誘えていないわけで、こういう難しさもまた時代にそぐわない部分があるんだろうなぁ、とか思ったりします)