天国と地獄の違い ヴェネチア,イタリア
イタリアのヴェネツィアから、オーストリアのウィーン行きの夜行列車に乗った。
僕が利用したのは二等席でベッドでは寝れない。そこは6席で1つの個室になっていた。
ヴェネツィアのサンタルチア駅から乗ったとき、はじめは僕だけだった。この部屋をひとりで使えるなとラッキーに思っていると、直後に同世代くらいの3人が部屋に入ってきた。
もうこれで横になっては寝られないことが確定した。
3人がけのシートが対になって構成された部屋だったが、4人になった時点でもう足を伸ばすことはできない。
でも僕のいる部屋以外を見てみると、どこも6席が埋まっていた。
4人はまだラッキーな方なのかもしれない。
しかも、他の3人はみんな女性で美人だった。
そんな3人とどんな形で寝るか話し合ったりして、ちょっとだけ楽しかった。
男1人が女3人と一つパンタグラフの下。
状況だけ考えると天国と形容できなくもない。
結局僕らは「コ」の字で寝ることになった。川以外の形で誰かと寝る日が来るとは。
ちょっときついけど、これなら朝まで耐えられそうな気がする。
21時に出発して、23時ごろに途中の駅に着いた。油断していた。
正直もう停車駅はないと思っていた。
嫌な予感はしていた。
案の定、数人が乗り込んできて、僕らの部屋にも定員いっぱいの2人が入ってきた。
見ると小さい女の子だったのでちょっと安心したが、それも束の間。
背後には化身のようにそびえ立つ大男が。
彼女の父親らしい。
僕たちは、お互いに目を合わせて苦笑い。
彼女たちの笑顔を見たのもこれが最後。
せっかく仲良く4人でコの字で寝れていたのに、麦わら帽子の娘とデカスーツケースを抱えたデカ親父の登場で天国は地獄に変わった。
天国から地獄。天国も天国ほど天国ではなかったけど、とりあえずこれは地獄。
ヨーロッパ周遊は次の日から5カ国目になるし、もうエピソードはたくさんあった。「もうこんなエピソードいらんて」と思いながらも、この状況をメモした。
美人3、自分、子供、巨漢。
神様、どういう構成?
どこの教会でもこんなお願いしてないんだけど。
世の中には「天国や〜」とか「地獄やー」とか、良いときと悪いときを天国と地獄で形容したがる人がいる。
天国と地獄の違いは色々あると思うが、抽象的に考えると、ゆとり・スペース・幅・空き・空白みたいな、なんとなく余裕があってゆったりとしているときは天国に近いイメージがある。
逆に地獄は、まさに穴に落ちた感じで八方塞がり。這い上がることはもちろん、身動きも取れないような選択肢がない状態、微塵の余裕もない状態が頭に浮かぶ。
広辞苑になんて書いてあるかは調べていないけど。
だから、天国が地獄に変わるときに、選択肢が消えたり、スペースが消えたり、空きが埋まったり、なんとなく余裕がなくなる現象が起こっていると思う。
もともと4人で6人の部屋を使っていて、そこには2人という余裕が僕らにはあった。でも、そこに2人が入ってきて6人の席に6人が座り、空席は無くなった。
これは地獄と形容されそうな状況の一具体例にしか過ぎないけど、僕にとっては地獄とは何かを理解する良い機会になった気がする。
鍵は、ざっくりと余裕みたいなものがあるかないか。
だから、地獄に行きたくない人は余裕を確保し続けることが大事なような気がする。
余裕みたいなものは、選択肢を多く持つことと近しいと考える。
何かを選択するとき、Aになりたくても意図と反してBになるかもしれない。
でもBになったときのために準備ができていれば、「地獄やーーー」とか叫ばんでもよくなるはず。
ただ、何回も地獄に着地しかけた人の方が、結局は天国に近いところにいるような気もする。