ゴッホだって褒められたかったはず 大濠,福岡
大学生2年目に入っても対面授業はまちまちで、オンライン授業が半分くらい。
それでも充実度だけを求めて勉強に多くの時間を費やした。もちろんそれはそれは楽しくない時間だったけど、時間の使い方は悪くないと思う。ただモヤモヤは続いていて、同窓会と成人式を終えてもなおある。
なんでもいいからヒントが欲しい一心でゴッホ展に行ってみた。
福岡市美術館の横には公園があって湖がある。風を遮るものがないためとにかく寒かった。
そんな私を迎える美術館の外壁は赤褐色で暖色系ではあるが、見るからに冷たそうな印象を持っていた。
中に入ると暖房がかなり効いていたからダウンも一瞬で脱いだ。それをリュックに詰めながらチケット売り場に向かう。
「大学生1人お願いします。」
受付の人は「1人?」みたいな感じでお金を受け取り、館内の説明を優しく丁寧にしてくれた。
ゴッホの絵が展示されてる2階に階段で上がる。すれ違う人々の中には熟年夫婦や学生カップル、子供づれのファミリーがいた。もちろん僕と同じように1人の方もいた。
展示会場に入るとモニターに映る浜辺美波が大人っぽいメイクで迎えてくれた。物理的に上から目線で一方的に会話を繰り広げるその大人びた様子は、とても同い年には見えなかった。
そして実際に絵を見る。私は絵の知識は全くないので、絵に関してああだこうだ言える人間ではない。
だけど中学生のときに一度だけコンペで通ったことがある。表彰された複数の絵のひとつとして福岡市美術館に並べられたことがある。それはゴッホの「ひまわり」の模写だ。オリジナリティはないけど真似るのは得意だったようだ。
当時の思い出として、ニット生地の服を着た若い美術の先生からいつもめちゃめちゃ褒められて、すごく嬉しかったという記憶がある。褒められたことでその後の美術のモチベーションは卒業まで維持された。
そんなことを思い出しながら、今回の一番の目玉である『夜のプロヴァンスの田舎道』の前に止まる。
弱いライトに照らされた、大きな一本杉。背景には星と月のようなものを拵えた青い夜がある。展示された52点のゴッホ作品の中でも、桁違いに異質な空気を纏っていた。
またその田舎道には計4人が描かれていて、手前には何かを持って歩くペア。奥には馬車に乗るペアがいた。
ゴッホの絵もそうではない絵もすべてを見終わり帰る。階段を降りた先にはゴッホ展の記念ボードのようなものが設置されていた。友達と2人で写真を撮ったり、交互に1枚ずつ撮ったり、カップルで撮ったり。記念撮影が行われていた。撮れた写真を見て褒め合う人もいた。
やっぱり人を満足させるのは人なんだろう。
しかもただの人ではなくて、自分のことを褒めてくれる人。
私は小中高と野球をしていた。自分で言うのもなんだけど、センスで押し切るような、もちろん努力はしてたけど、人より上手い風に魅せることに関しては長けていたからよく褒められた。中学のときは学年でも勉強ができた方だった。高校では部活に打ち込みすぎてテストの成績はクラス最下位になることもあったが、センター試験だけ良かったなど、その時々で先生や友達、親などが僕のことを褒めてくれていた。
大学に入っていまいち充実感や満足感がないのは、単に人付き合いがないのではなくて、褒めてくれる人が減ったからかもしれない。親元を離れ、大多数が僕のことを知らないコミュニティで生活する。自分のスキルを見せる場面はない。
バイト先で上の人から仕事ぶりを褒められて気分が良くなって、朝6時半から23時半までは働かされても苦痛を感じなかったのは、そう言うことかもしれない。
ゴッホは今でこそ世界一の画家になったが、それは死後からスタートした話。生前は絵も数枚程度しか売れなかった。
ゴッホだって褒められたかったはずだ。もっと生の褒め言葉を生きているうちに聞きたかったはずだ。
『夜のプロヴァンスの田舎道』に出てくる人物が2人組なのも、褒められたい欲が絵に投影されて互いに褒め合っている状況なのかもしれない。(違うと思うけど笑)
褒められてなんぼの人生。褒められて嬉しくないはずがない。褒められたくて、認められたくて行動に移すことだってたくさんある。
ああ、もっと褒められたい。誰かを俺を褒めちぎってくれ。(笑)
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