やれない自分の正当化。
「俺がもし稼げるようになったらどうする?」
「めちゃめちゃ奢ってもらう」
表面上の、空想上の話をよくします。
僕はお金があったら、お金がなくて困っている人に使いたいといつも思っています。お金がなくてやりたいことが出来なかったら、それが出来る金額をあげたい。
親にも欲しいものをいっぱい買ってあげたい。彼女にもそうしたい。友達と食事に行くなら全部奢ってあげたい。本心でそう思ってる。
ただ、僕にはお金がない。これがすごく悔しい。
もし、自分が色々頑張って積み上げて稼げるようになった時、周りの人たちは必ずこういうと思う。「俺もやっておけば良かった」って。
でもその時僕は、やれば良いよって、やるなら力貸すよって、散々話すことになると思う。にも関わらず、周りはきっと、何事もなかったかのようにそんな言葉を平気で漏らすかもしれない。
進めていばってる自分も自分だし、聞いてもらえなかった事実がただ悲しい。
挑戦ってのはやりたいって思った自分の肯定から始まる。その自分を否定して「いやでも俺には無理かな」ってぬるま湯に浸かり続けるのはかっこ悪いと思う。
そしてそれをよしとし続ける人たちに囲まれるのも嫌だ。
もうぬるま湯に浸かり続けるのは良くないか?
自分の純粋さに気づいても良くないか?
否定に慣れた自分である必要はもうないんじゃないか?
そうやって作り上げた自分のまま死ぬの?
あれやりたかった、これやりたかったって言って死ぬの?
それ自分の子供に言えんの?
僕はそんな死に方したくないので、今日も未来の自分のためにがんばります。動かないと何も始まらないんだから。口だけの人生なんて、ごめんだね。
煽ってすみません。ただやっぱり、僕は頑張って生きたい。そう思う午後5時です。
あぁ、お腹すいたなぁ。