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【サツドラヒストリー】インタビュー後編―富山社長―

みなさんこんにちは!サツドラHD公式note編集部です。

サツドラの50年の歩みを振り返る「サツドラヒストリー」。
前回は富山浩樹社長も加わり、3人が初めての対談を行ったインタビュー記事の前編をお届けしました。

そして今回は、富山浩樹社長へのインタビューをお届けします!
※取材日:2020年10月

EZOCAの立ち上げ

―富山さんが社長に就任されて、2014年にリージョナルマーケティングが設立されました。多角経営的の核になり、それが今も基板になっていますが、EZOCAの地域マーケティングはどういう思いでスタートしましたか。

社長:
それは戦略の一つとしてターニングポイントでした。ドラックストアとして成長していく、日本一を目指して店舗展開していく為には、全国チェーンで展開されている強豪さんと我々が戦うのは難しいと感じていて、ハードルが高いと。
なので、リブランディングを考える中で、存在意義を出していくためにはタイミングも良かったと思っています。そこで『北海道の「いつも」を楽しく』をテーマにしました。

割と僕は道外にいた時が長かったので、フラットに北海道を見られたし、北海道を好きな人がこんなに多いのは有利だな、誰もやっていない戦略が可能なんじゃないか、と感じました。


社長になった時の思い(インバウンド等)

―最初から社長になるために育てられたわけではなかったかと思いますが、どういう気持ちで社長を引き継ぎましたか。

社長:
社長になる、会社を継ぐ、という明確なことは考えていなくて、会社に入るという決断が自分にとって大きかったです。ですが仕事をしていく中で「自分が継いでいく会社」として日を増すごとに主体性が強まり、社長になる前は、どちらかというと早くやらせて欲しいと伝えていました。
社長にしてもらって危機感もありましたが、「やるぞ」という気持ちと変化するスピードを上げたいという気持ちが強かったですね。


―インバウンド、PB商品の開発など、軸はドラックストアですが様々な事業を始めた狙いは?

社長:
ドラックストアとしても強くするべく、他社とどう違うかをアピールしてお客さんにいかに認めてもらえるか、をテーマに先ほどもお話した『北海道の「いつも」を楽しく』をコンセプトに掲げ、サツドラというブランドを強化していきましたね。店作りの進む方向が明確になったことで、事業やプロジェクトがスタートしていったターニングポイントの数年でした。


―インバウンドでサツドラが道外に出店する時のお気持ちを教えてください。

社長:
当初、僕はネガティブだったんです。道外に出すというのが…やはり北海道、北海道の地域をドメインにしていて、まずそこでの価値を上げていくことを目指していたので。
インバウンドは当然チャンスで、サツドラが成長するためにも地域が成長するためにも必要でしたが、ただそこを道外に出していくというのは、ちょっとやめたほうがいいのでは?と会長と話し合ったこともありました。

そうやって最初は悩んだ部分も多かったですが、始まってしまえば得るものがたくさんありました。サツドラブランドとして初めて出したところが沖縄だったのですが、沖縄は地域という文脈を使って様々な繋がりが出来ましたし、知見がたまっているところもたくさんあって…多様性で海外の人も増えていて、インバウンドの取り組みは組織にとって良かったです。

沖縄初出店 沖縄あしびなー店


さまざまな新たな取り組みについて

―EZOCAの会員が150万人を突破して、GRITWORKS、AI TOKYO LAB(現AWL)など様々な事業展開のほか、ドラッグストアも200店舗を突破し、2017~2018年は激動に思えますが、この時は経営者として、当時どういう思いや信念で行っていましたか。

社長:
ホールディングスにしたことが、多角的にやっていくきっかけでした。EZOCAを始めた時、お店は物を売るだけじゃなく、買い物してくださった物のデータがお店に残ることでそれが資産になる、このEZOCAで得た体験を他のところにも生かせると感じましたね。色々な業界の人と会って、色々なお話をすると、店があるって有利だなと。
起点はお店で、でも資産や物を売る場所だけじゃないと捉えた時にすごく価値が出てきたんです。見る人によっては全然違うと思われるかもしれませんが、お店を軸にやっていくと凄く有利なところがたくさんあったんですよね。


―社内では従業員に向けて「サツドラアワード」という表彰制度を行っていますよね。第二次急成長期で働き方改革をしていく中、始めた時はどういう思いでしたか。

社長:
今振り返ってみると、その年は本当にたくさんの事をやっていました。そこから数年経ちましたが、組織的機能不全じゃないですけど急激に取り組むことが増えていったので大変だったと思います。
僕としてはドラックストアを軸としてやっていましたが、新しい事を始めるとどうしてもドラックストアに目がいかなくなることがあって。兼務の方が増えて、責任の所在が不明確になって、組織として上手くいってないなと感じることもありました。

ですが、そこと事業は前に進めたいという狭間にいて、組織としてどう進めるか、強い組織する為には、と凄く考え始めた時期でもあります。永遠の課題である組織といったところに目を向けて取り組みたい、サツドラアワードもその一つとして始めました。


―翌年、翌々年にはミッションビジョンやサツドラウェイを設定し、働かれている方の満足度を高めることに重きを置きだしたのが2017年ですね。

社長:
何の為に、どこに向かっているのか。もっと言語化して進めたくて、サツドラアワードもホールディングスのミッションビジョンを決めるために行いました。「サツドラらしさとは何か」を従業員一人ひとりが考え、共に働く従業員を褒め称える中で、推薦された従業員たちの行動や想いから、行動指針となる「サツドラウェイ」が定められました。


―翌年2018年はシーラクンス子会社化があって、どさんこしまんちゅプロジェクト発足、リージョナルマーケティング琉球が発足しました。沖縄との関係性が深くなっていったサツドラにとって、道外はどういう位置付けで見ていますか?。

社長:
当初はインバウンドの出店で始まった沖縄ですが、僕らのテーマに合った地域にしていきたいと考えるようになりました。元々リージョナルマーケティングを立ち上げた時、わざと北海道とは付けず、ローカルでもナショナルでもないリージョナルとして北海道で価値を出せれば、これからの日本の地方に展開出来るんじゃないかと。
そこで沖縄が次に文化圏、生活圏、リージョナル構想に一致出来るような所だという話になりました。沖縄で出会った方々は本当に良い方ばかりで、そんな方々と繋がりを持つことができ、こんな事が出来るんじゃないか?と色々アイデアが出てきて、そこから「どさんこしまんちゅ」のコミュニティ、リージョナルマーケティング琉球が出来た、という経緯がありました。


コープさっぽろとの業務提携について

―2019年、コープさっぽろとの業務提携はどういうメリットやビジョンを掲げた思いでの業務提携になりましたか。

社長:
サツドラが北海道地域をドメインに置いた時、コープさんもそうだったんですよね。僕らが地域をメインに、教育だったり、地域マーケティングだったり、様々な事業展開を面でやっていた時に、生活協同組合は生活を底上げしていこうというテーマでやっていて、親和性が高いお店だなと感じていました。
コープさんの執行役員CDOデジタル推進本部長の対馬さん(取材当時)はじめ、中にいる人との関係が出来てきていく中で、これから北海道の人口が減り、高齢化を迎えて、社会課題を迎えるに辺り凄く一致するなとも。それで一緒にやっていきましょうとなりました。


―コープさんに対して色んなハードルがあると思うのですが…

社長:
もちろんあります。小売業でいうと強豪で、仕組みも文化も違う部分が今もこれからもありますが、それでも方向性や目指す場所が一緒で、経営層で一致しているという部分が大きいです。毎月トップ会をやって、前向きなお話を率直にしているので、前に進んでいる感じがしますね。

―そういう理念があって、くっつくはずのない二社が手を組み進めることができているのですね。

社長:
生協と株式会社はくっつくことは出来ませんが、パートナーですね。距離感があるからこそ良い関係でいられると思います。サツドラブランド、コープさっぽろブランドは当然そのままやっていきましょう、その中でパートナーシップを組んでいきましょう、なので。


地域連携(江差)について

―江差町と色んな面で官民でやられていますが、次の狙いやビジョンとして、江差町とはいかがでしょうか。

社長:
色んな自治体さんともお話しているのですが、江差町は今、人口が7,600人(取材当時)。2030年以内には北海道の半分以上が人口5,000人以下になると言われている中で、5000人以下で成立する小売業はほとんどないですよね。小売業が成立しづらい、競合がどうこうではなく、存在するかしないかになり、他のサービス業も、人口がいないと成り立たないものがたくさんあります。医療だって福祉だって、住民サービスだって、町が存続できるのか、存続して住めるのかが課題です。官も民も一緒なんです。

今、各自治体さんも危機感をも持っていて、切羽詰まっている課題があるからこそ一緒に出来ると思っています。江差町は照井町長と、お互い思っていることを一緒に、そしてスピード感を持って取り組んでいます。

2021年5月にスタートした江差EZOCA


―今後は、ドラックストアがないところでも、サツドラホールディングスとして成長していきますか?

社長:
今までは、お店を出店してくれるか出さないかでしたが、我々は面で色んな事業をやっています。ここは出来ないけど、ここは一緒に出来る、こことここを組み合わせれば一緒に出来る、など様々なパターンで出来ることが増えるのは大きいと感じています。


会社とコロナの関わり方、今後について

―サツドラホールディングスとしてコロナとは。どう切り抜けて、どう攻めて、どう守るかお聞かせください。

社長:
コロナになり、あれだけ盛況だったインバウンドの売り上げは、ある程度あった分母が減っただけでなくゼロ消失しました。オリンピックイヤーだったので、当社も弾みをつけていくぞと勢いづいていたのですが、コロナイヤーになってしまった。

そこでテーマを変えて、今年(取材当時2020年)の目標は「コロナを乗り切り、強く、信頼される会社作り」にしました。こういう時だからこそ強く信頼される会社になろうと。結果的にすごく良い方向にいっているのではと思います。今までは、新しく始めた事から辞める決断は凄く難しく、もう少し頑張ればいけるかもしれないとバイアスがかかりますが、コロナの時期だからこそ、これは続けようと判断したり、見直したりすることができました。コロナで何かが変わったというより、変化のスピードが速くなったという捉え方が正しいと思うんですけど。

それは会社でも同じで、先延ばししていた事をこの時期に決めてやっていこう、そう思えました。お客様がドラックストアに殺到して、改めて現場も含めて生活インフラに必要なんだ、お役立ち出来ているんだと思えた事がすごく大きい。守って、土台を作って、将来に対しての打ち手を止めているわけではなく、新しい打ち手を考えて実行することに社内一丸となって取り組んでいます。


―今後のサツドラは「生活インフラ」がテーマになっているんですね。最後に、社長にとっての会社のビジョンについてお聞かせください。

社長:
コロナの話に戻りながら繋げると、コロナが起きてミッションビジョンを掲げたのが2019年。今まで掲げていた地域のドメインをもう一回整理して、ドラックストアビジネスから地域コネクティックビジネス、店舗は物を売るだけのサービスではなくライフコンシェルズ化していこう、地域のあらゆる人を繋げて価値をだしていこうということが明確になりました。

テーマは『地域をつなぎ、日本を未来へ』。まさにリージョナルの力から、今の時代にぴったりだと。DXを含めてやってきたことも、時代の流れが速まることで改めて必要だと感じましたし、戦略的にも間違っていなかった。方向性も、かえってコロナになって自信に繋がりました。

また先ほどもお話しましたが、ミッションビジョンでサツドラの価値を定め、バリューとして地域の人、コミュニティを持っている人を繋げられるという強みを掲げたんです。より人を感じていける時代になって、お客さん=お店を使ってくれる生活者で、もちろん働いている人も生活者で、我々と一緒にプロジェクトをやってくれる人や取引先さんも含めて、地域をドメインとして自然に繋がっていくと感じています。

色んな事業が始まると社内、社外の人との関わりが増えて、その中でサツドラがドメインにあることで、ツールとしてみんなに使って貰えるものとして存在したいなと。もちろん従業員が一番関わりが強いですが、お客さんもそうですしサツドラに関わっている人みんながサツドラというステージを使って、楽しかったり幸せだったり、そう思ってもらえたらと強く思っています。

―富山社長、ありがとうございました!

サツドラヒストリーの連載は今回で終了となります。最後までお読みいただきありがとうございました!

これからも、サツドラをどうぞよろしくお願いいたします!