好きなことと、まだ遠い理想(「理想の人生」計画 スタートさせたいわけ)
文章を書くのが好き。
それがお金になったら。
それは私にとって、きっと「幸せ」なことになる、はず。
以前、幻冬舎のコンテストに応募し、選ばれなかったのに、
編集者から自費出版しませんかとメールが来た事実を、いまだに手放せないというか。
↑ 当時の自分。タイトルに、ネガティブな戸惑いがよく出てる。
メールには、「二次選考を通過した作品の中でも特に評価の高い作品を執筆された方に限り、担当をつけて今後の創作のサポートを(以下、省略)
幻冬舎。
「特に評価の高い作品」
出版社の編集者に、こんなにほめられるなんて。
あれで、変に自信がついてしまったのかもしれません。
<そんな、夢みたいなこと言ってないで、現実見ろよ>
そうなんだよマインドB。(もとは私だ、ようわかってんな)
憧れの星、まだ遠く
このnoteで書いた文章が、本になったらいいじゃん!
こんなの、都合のいい一石二鳥私にとって、なってほしい現実!
そうすれば、だいたいのことが解決する。
おばだって、これ以上「お金がない、お金がない。お姉ちゃんの代わりに私が死ねば……」なんて、
昔の私みたいに、急にマイナスオーラ全開の愚痴を出さなくなるし。言わせねぇよ? 私にお金さえあれば。
<私に、お金さえあれば。w>
振り返ってみれば。
途中であきらめてしまったり。
それでも、ネットでつたない文章を(最初は「魔法のiらんど」、それから「野いちご」に引っ越し。さらに同時にブログを書いていた)書いていた。
たまに、更新しなくなることも。
文章力は、筋肉トレーニングと似ている。1日しなかったら、衰える。
何かで見たその言葉を信じ、
けど、筋肉と違って、自分に文章力がついているかはわからないまま。
できることなら、
働きながら、ネットで(それが、夢を追う追わない、関係なく)文章を書く、そんな人生を歩みたかった。
私には、できなかった。
なんでだろう。努力が足りないのかな。
きっと、いまの私には、そうとう、いろいろなものが欠けているのです。
もし、いま死んだら
なぜか下がらない血圧。薬を飲んでいるのに、薬を飲んでいないときと、ほとんど変わらない数字。
なんでですかね? と循環器内科の医師に訊いても、お医者さんも首をひねる。
年齢的に、これから健康には気をつけなけきゃだめなお年頃。
万が一、脳出血でもしてみろ。それで、後遺症でも残ったら、高齢者の家族に生活をサポート、って、困る。暗ーい、過酷な雰囲気を想像する私。
もし、いま私が死んだら。「したいこと、できなかった!」「noteに書いたこと、書き直したいのにできない」「あの番組、見たかった……」「お墓参り、行ってない」「(親友)Tと会うって、いつか会って話したいよねって言ったのに」
など、未練がありすぎて化けて出てくるでしょう。
星になった人、没後先輩
西村賢太さん。
2023年4月29日、Eテレで放送された番組を見て、亡くなったあと、
本を買って読むようになった作家。
noteの企画、#推し短歌で、
西村賢太さんをテーマに短歌のようなものをつくったりもしました。
西村さんには、師匠がいました。
「没後弟子」を自称するほど、敬愛していた作家、藤澤清造さん。
番組を見て、ぼんやりと、「師匠か。だったら私は、没後弟子、いや、弟子っていうより、没後後輩。……没後後輩?」
西村さんのような、岩にかじりついてでも「没後弟子」を名乗り続ける師匠への敬愛と、作家としてのプライド、文章を書くことへの情熱や執念はない。師匠というより、先輩ぐらいの距離感だったら、いいかな。
没後後輩という変な言葉が生まれたけど、だったら、私は西村さんを「没後先輩」と言いたい。自称するのではなく、親しみを込めてそう呼びたい。
あんな生き方、誰にもできないから。
自分なりにつくるなら、目指すのは
自分のしたいことはあるのに、それを叶えることができないまま、時間だけが過ぎていく。体力も衰えるし、気力だって、面倒くささが勝ってしまう。
だから、忘れないために。そして、これを読んでくれる人に、この文章を読まれたら、もう、言い訳ができない。恥ずかしいことになる。
こうして書いた文章が、いつか売れたら。
まるで、ずっと星を見ながら、歩き続けて力尽きる未来が私に待っていたとしても、前を向いて歩いて行けるようになりたい。
決意表明にしては、はっきり言えないのが私らしい。自信のなさも出てる。
まあ、これからもいろいろ書いていくつもりなので、よろしくお願いします、ということです。