陰キャでも〇〇でもいいじゃない、人間だもの

「陰キャ」という言葉が嫌いだ。初めて見たときから、なんか嫌いだった。女性特有の、「生理的に嫌い」を人間ではなく対言葉にしたら、こんな気持ちになるんじゃないだろうか。

ではなぜ嫌いなのか。

まず、パッと見たときのイメージが良くない。陰という漢字につきまとうマイナスのイメージ。
逆に「陽キャ」の陽には、太陽とか、陽だまりとか、明るくて光あふれる感じがする。

そもそも「陰キャ」とはどんな人なのか。

「性格が暗い人」「おとなしい人」あとはなんだろう、「家にいることが好きな人」「クラブに行かない人」「冬にスノボしない人」と、だんだんと陽キャじゃない人はどんな人だろうと考えたら出てきた、私個人の偏見のかたまりになってしまった。(なんだよ、「冬にスノボしない人」って)

でもこうして考えているうちに、何が嫌なのか気づいた。
それは「陰キャ」「陽キャ」とカテゴリーに入れることによって、
何か小さくて細かい部分が見落とされたり、気づかれなくなったりすることがある、ってこと。

この人は「陽キャ」だから落ちこんだりしないだろう、とか。別に、性格に関係なく、気持ちが落ちこむことだってある。誰にでも。もしかしたらいるかもしれないじゃないか、冬にスノボに行くけど、実は「陰キャ」な人だって。

最近、暗いものがたりを見なくなったなぁと思う。それは新型コロナのせいで、ここ3、4年、世の中が辛く厳しく、人によっては過酷なものになってしまったことも影響しているんじゃないか。現実が暗かったら、たとえ創作でも、暗いものは見たくないものだ。

この前見た、ビッグモーターの前社長の記者会見。会社の不正請求が発覚し、きっと何度も謝罪するのだろうなと思いきや、感じたのは違和感だった。
社員が勝手にしたことのせいで、自分が謝らなければならなくなった。そんな風に思っていそうに見えた。

ゴルフボールをくつしたに入れて、車にぶつけて傷をつけていた社員がいたそうで、これについてどう思うか、と記者に訊かれた前社長は、「ゴルフへの冒涜ですよ」と怒っていた。あれを見て、「なんだかこの人、すごいずれてるな」と思ったのは私だけじゃないと思う。

この社員は、おそらく、お客様の車にわざと傷をつけてでも稼ごうとしたんじゃないだろうか。もちろん、してはいけないことなんだけど。
社員にそこまでさせてしまう職場になっていたことに、前社長は気づけなかったってことが問題なのでは。

考え方や価値観をアップデートしないでいると、あっという間にずれた人になる。怖いのは、そんな人でも会社のトップとして居続けられた、という現実が、ほんの少し前まで存在していたことだ。

この前社長は、社員一人ひとりがバラバラに動かれると困るので、会社を運営していく立場として、多少のルールがあるのはしょうがない、と(いうようなことを私なりにまとめると)言っていた。

ヒトは一人ひとり、まったく同じDNAでできていない。製氷皿の氷のように、同じ型から同じ形で生まれてこない。

けど組織になると、上にいる偉い立場の人たちは、
「みんな同じ」でいることを望み、酷い人は強制しようとしてくる。

「陰キャ」も、変えたほうがいいと思っている人はいると思う。けど、はたしてそうだろうか。そもそも性格って、誰かに言われて変えなきゃいけないものなのか。

テレビで「多様性」という言葉を聞くようになったけど、世の中にはそんなに多様性がない気がする。多様性より、個性をなくし、ほかの人と同じようにする、同じようになることが良いこと、という風潮が普通になりつつあるような。

あのビッグモーターの前社長のような人が政治家になって、
間違っていることを「これ変ですよ。やめましょうよ」と言えない、
言っても何も変わらない世の中になったら。まさか、もうなってる……なんてことはないよね?

自分の個性が、世の中的にはダメだから変えてくださいっていうのは、変な話だと思う。

だから陰キャだっていいじゃん。

そういえば、人は自分と違う遺伝子を持っている人に惹かれる、と何かで聞いたことがある。それは、遺伝子が多様であれば、感染症に強くなるというメリットがあるから。みんながみんな違うことで、ヒトは生き残ることができた、ともいえる。

みんな違ってみんないい、は、なくならないでほしい。そのためには、私の中にある偏見をなくし、寛容さがなければ。

でも私の中にある、冬にスノボに行く人は陽キャのイメージはまだ消えていない。(笑)なんで寒いのに、わざわざよりいっそう寒いところ行くんだよって思うので。


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