半年間の勤め先からの経験
大好きだった介護の現場①
働くことは生きること、私らしく働けたかはわからない。だけど全力で駆け抜けた日々。
この先どう働くのか…
つまり、どう生きていたいのか自問自答。
下記は大好きだった仕事の話です。
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現主人との再婚を機に引越しを視野に入れ、半年間の勤め先と決意したのが特別養護老人ホームだった。派遣社員として入社し、特養・デイサービス・ショートステイ・身体障害者施設の中で特養に配属された。
当時、職業訓練の初任者研修を受けたばかり。現場では学びを早く実践したい!と介護施設での勤務を心待ちにしていた。
個人的な理由で半年間だけの勤務、という条件があったにもかかわらず派遣社員の契約で働けたことを今でも感謝している。
現場で最初に出会ったおばあちゃんは入所して間もない方だった。トイレの介助やベッドへの移動の介助が多少必要ではあったが、自立傾向にありお元気そうな様子。
初めて会った日は歌を披露してくれた。
仕事の様子と言えば… 特養の勤務は流れ作業に近いものがありとにかく手や足が止まらない。朝出勤すると歯磨きの介助や朝食後の排泄の介助。
オムツ交換のために入所者にはベッドで横になってもらうため、移動の介助もある。歯磨きを終え自分で移動出来ない車椅子の方たちを部屋に移動しては食堂へ戻り、また部屋に移動してはの繰り返しでオムツ交換が始まる。
とにかく職員は休む暇なく動き回っている。
正社員は事務作業も役割も責任もあり、おまけに夜勤や準夜勤で体の負担も大きい。私が一緒に働かせていただいた職場では、夜勤明けてから日中稲刈りをするのだと話していた男性がいて本当に驚いた。。一体、どんな体力なんだと。
女性は腱鞘炎の方が多く、男性は腰痛の方が多かった。
心も体も駆使して働く職員さん…胸が痛かった。
だけど私は半年間しかいない。何の役にも立たない。それでも今は生きるため、そして何よりやりたかった仕事を経験することに専念した。
… みんな愚痴っぽかった。仲間意識も強く派閥もあった。そうだよね、そうもなるよね。。
わからなくなかった。
1ヵ月、2ヵ月、3ヵ月が過ぎた頃。特定の人と仲良くなるのが怖くてみんなと距離を置いていた私を横目にある職員さんがこう言った。
「やっぱり仲間はいいよな!」
一瞬、いや、その後ずっと苦しくなった。
私は怖かった。みんなにあと数ヶ月で居なくなると知られたら、愚痴の対象になるからだ。
でも一番怖かったのはみんなが大変な思いをして働いている中、結婚しますという話をすることが怖くて言い出せなかった。
元々感情移入しやすい性格で、ドラマなども観ると疲れてしまうので普段から観ないが、施設内では毎日が生死のドラマ、ご家族とのドラマ、老いを目の当たりにする衝撃ばかり。私には感情の振り幅も大きい職場だった。
入社して初めて会ったおばあちゃんは、ものの数ヶ月で「うちに帰りたいよ〜」と泣き出すように。急激に体重が減少。食事も普通食からドロドロの介助食へと…。排泄介助はオムツ交換となり、行く度に「申し訳ないなぁ」と泣いていた。
あんなに明るく歌っていた方が。。
氷川きよしさんが好きだと、自分のベッドの真上に彼のポスターを貼っていたお話上手なおばあちゃんも急変し、ご家族の意思の元、胃ろうの手術をしたが入院先から帰ることはなかった。
私は帰宅するとヘロヘロで貼るタイプの電動マッサージが手放せなかった。
大変な中にも、みんなへの引け目のようなものを感じていた毎日でも、幸せな時間はあった。
それは認知症の度合いが高い方、全介助の方とのコミュニケーションだ。通常のコミュニケーションがとれない分、相手を観察し不快感のないよう接することに神経を研ぎ澄ませる…。
喋れない・動かせない・わからない分、私は代わりに何が出来るのか、未経験ながら精一杯対応した。
そんな中、水分補給の介助や食事の介助、排泄介助の時に見せてくれる僅かな微笑みや、こちらに委ねてくれた時の力の緩み方で通じ合えた喜びを知っていった。
つづく
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