ねこのこと
猫飼う予定もなく猫を飼ってから2年半
ぼんやりと思い浮かんだ「カク」と名前をつけて一緒に暮らしている。
飼っているというよりかは、ルームシェアに近い。
もちろん世話していないわけじゃなくて、その辺はキッチリしているが、無関心でもなく過度に可愛がりすぎる訳でもなく、同じものを見て、同じ空間を共有している仲間みたいな表現の方がしっくりくる。
部屋に虫が現れた時は2人で対応する。
カクが居場所を教えてくれて、僕が捕獲し、外に逃がす。みたいな。
もちろん何を考えているかは猫と人間なのでわからないし、今が幸せかどうかもわからない。僕は幸せだが。
どんなに仲良くてもどんなに愛おしくても、言語や文字、ボディーランゲージによる明確な疎通ができない以上、人間が言う「感情」については決めつけでしかないのが歯がゆい。
動物に詳しいブリーダーや生体に詳しい獣医の示すサインはおそらく概ね正しいのだと思う。
しかし、人間にだって激辛という痛みである感覚を楽しむ人もいるのだ。
喜んでうんこ食べる人だっているのだから。
脳の成分云々は結局状態であって感情ではない。しかし、種族の違う生き物の感情を慮ることもまたエゴなのかもしれない。
例えば人間より遥かに大きい巨大な球体みたいな種族が現れて、人間を飼うのがトレンドになったとして、体温が高ければ高いほど人間の言う「感情」が「楽しいを示す」と解釈されてしまったらすごいキツイだろう。
きっと体温の上下と感情には関連性がないこともないのだから、なんか上手いこと数字で示されたら球体たちもそうだ!そうだ!と一定の納得は示すに違いない。
オシリを掻くのは飼い主に心を許している証拠です。みたいなブログも何万PVでも付くだろう。
もちろんそれがその通りの人間も中にはいるだろうが、全員ではない。
結局命が命を扱う事自体がエゴなのだから、それ以上考え出すと全ての行動に迷いが出てくるからやめる。
だからこそ、一個だけ大きなエゴとして、カクを友達として扱おうと決めた。
それから2年半、僕らはまあ仲良くやれてると思う。
テレワーク中、トイレに立った隙にチャットで全角スペースだけの投稿を勝手に送信して、同僚たちの頭にハテナをたくさん浮かべさせてたカクに「一個貸しだからな」などと友達っぽいセリフを吐いて、意味不明な自己満足の演出をしながら一緒に暮らしていく。これからも。