4月22日の雑記。
「あんた。背伸びたんじゃない?」
祖母がわたしと逢うたびに言うことば。
まじまじとわたしを見上げながら言うその表情は、
おそらく「おはよう」よりも明確な朝の始まり。
「そうかなぁ」と返す日もあれば、
余裕がなくて「変わらないよ」と返す日もある。
ふと目に入る鏡には、
哀しそうに笑うわたしが映る。
「昨日も聞いたよ」
それだけは出してはいけないことばだと。
朝から少しだけ口を固く結ぶ。
「祖母の記憶が曖昧になり始めたのはいつでしょうか。
明確には覚えてない。
元から少し抜けた人だから、いまでも曖昧になってるのかはわからない。」
こんな書き出し、
ありきたりすぎて書くのがいやだった。
だから、今日はタイトルにも載せず、少しだけ。
うまく書ききれるとも思ってないから。
「あの子は勉強してるよ、」
その時計は止まる。
受験生の夏にわたしが上の階で勉強していたことは覚えてるのだろう。
仕事をしていても、階下から「飲み物ある?」と大きな声で呼び出されたことはここ1週間で何度あったか分からない。
「防空壕でね、」
その時計はよく少しだけ巻き戻る。
ありきたりな話だが、最近の記憶が曖昧だからこそなのか、わたしには正誤も分からない話が続くことがある。
「コロナウイルスで今日はね、」
たまに時計は正確な時を刻む。
先日までは祖母から「トリュフウイルス」と呼ばれていた名も、
ようやくスラスラと口から出るようになった。
祖母の頭のなかでは、
どんな時計が動いてるのだろうか。
食事を共にしているとたまに気になってしまう。
物忘れという時は進み、
記憶という時は戻ることがある。
まったく、不思議な時計を持ったものだね。
「その話違うでしょ」
「その話この間も聞いたよ」
そう叱ることは簡単だろうし、
もしかしたら物忘れを進ませないようにはそうしなければいけないのかもしれない。
もしかしたらトレーニングになるのかもしれない。
だけど。
いまのわたしにはできない。
体力がないとかではなく、単にできない。
おそらく。
祖母とわたしにあると思っていた共通項の「この間」が無くなってしまっていることに、わたしが耐えられないから。
「この間」を捜そうとして考え込むような、見つけられない自分を申し訳なく思っていようなあの表情が見たくないから。
「人にはそれぞれ、その人ができることを求めなくてはならん。」
先日読んだ本にそう書いてあった。
今朝、本当の意味で納得した思いがした。
だったら毎日、
わたしは背が伸びているのかもしれないし、
あながち勉強しているのも間違いではないかもしれない。
わたしの来訪よりも、
コープの来訪のほうが明確だろうし、
わたしが前回話したことはきっと覚えていないのだろう。
いまこれを書きながら涙が止まらないことに、
自分が一番驚いている。
ただの雑記なのに。
平気な顔して通って、
笑って帰ってきて、元気だったよと身内に報告する。
「あんたは感情がないんだ」
と身内から罵られる夢まで見て、
冷や汗びっしょりで目覚めたとしても。
明日もきっと、「伸びたかもね」と返すのだろう。
祖母が自炊ができるようになって、
いつの間にかごはんを平らげるような、
そんな存在になれたらいいと思う。
少なくとも、健康では在れるはずだ。
これが戯言にならないように。
おやすみなさい。
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