他愛もない話
今夜はストロベリームーンと呼ばれる満月らしい。
月はひとつなのに、その月によって幾つもの名を持つ不思議。
まったくいくつ仮面を持たせたら気が済むのだろうね。
裸足でベランダに足をつける。
少しだけざらりとひんやりとしたコンクリート。
薄雲の向こうがわに見える月はぼんやりと輝いている。
欄干に手を乗せる。
遠くには手を繋いで駆けてゆく男女。
ただいま午前1時48分。
月は変わらずぼんやりとそこに居る。
わたしには所謂「旧い付き合い」と言ってよいような友人が数人いる。
今日は旧友たちと「オンライン飲み会」とやらをした。
取り留めもない
他愛もない
そんな話をひたすらに。
入る時間も自由、眠たければ勝手に眠る。
自粛、緊急なんとやらと騒がしい世間の中、
気の置けない顔ぶれを見ると、どうしても落ち着く。
チーム名を付けるとしたら「気まぐれ」がぴったり、
というほどに自由勝手な人々なので
自粛期間になってからのほうが顔を合わせる(と言っていいのか分からないけれど)機会が増えた気さえする。
実に「逢いたいね」が叶う確率は10分の1にも満たない。
気まぐれなのはオンラインでも変わらない。
「挙式を挙げるならどこがいい?」
突拍子もない話が飛び交う。因みにだれも見込みはない。
ハワイ?高そう。
グアム?ああ、いいね。海があるといい。
韓国!トイレあんまり綺麗じゃないよ。じゃあ、わたし行かれないなぁ。
沖縄?じゃあ4番目に結婚した人は沖縄決定ね。
この人たちは、
顔を合わせれば、いつでも箸が転げてもおかしい年頃だ。
あれよあれよという間に式を挙げる順番に合った場所が人数分出揃う。
「なんでそこ」という場所もあれば「ああ鉄板だね〜いいね〜」という場所も。
因みにだれも見込みはない。
そのはずなのに、
それぞれの変に考え込む表情がなんだかとてもおかしくて心地好かった。
きっと、そういう、
「なんで」と「いいね」のタイミングが合ったから、
この人たちとここまで一緒に来られたのだろうなとふと思った。
それはそれは、
とっても幸せなこと。
受験も就活も、恋愛も、家族の話も、
どんな話だって本気で向き合ってアドバイスをしてきてくれた。
付き合いの長さも相まって、
この人たちが言う
「よるだったらこう言いそう」
「よるだったらそうはしない」
は大抵わたしの腑に落ちる。
わたしはなんだか嬉しくなって ふふんと笑う。
わたしは、手を繋いで駆けてゆくような劇的な恋心を抱く相手はいないけれど、
この人たちがいるから、
月のようにほっこりと輝くような幸せを抱えていられる。
本人たちには恥ずかしくて一生言えやしないけれど、
月のようにたったひとつの、わたしを照らす存在だ。
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