今日のこと③


今日はご縁がある厄除け大師へ。
厄除けと祈願をしてきた。

通い慣れた厄除け大師で、
最前センターでご祈願を受けた。
(どうしても言い方がライブハウス)

祈願のときに僧侶の方が仰った。
「お願いごとはなるべく具体的に、
願いを唱えるだけでなく、いつどんなときに力を貸してほしいのか、まで」
「素敵な恋人がほしい、ではなく、
理想があるならその詳細まで」

なるほど。
生年月日や住所、氏名を唱えることは分かっていたけど
そこまで事細かに伝えるものなのか。

たしかに、
仏さまが聞いてる願いや助けを乞う気持ちは数多ある。
お彼岸ということもあったけど、
今日もたくさんの方がご祈願を受けていた。

「素敵な恋人がほしい」
そう唱えても、仏さまと私が思う「素敵」は相容れないかもしれない。
「いや〜そうじゃないんだよなぁ」
仏さまとわたしの間に言った言わない問題は通用しなさそうだ。

なるほど。

ご祈願が始まる。

手を合わせ、目を閉じる。

叶えたいこと、改善したいこと、
助けてほしいこと、
煩悩は多いもので挙げればきりがない。

足が痺れても、
ご祈願が終わっても煩悩は落ち着くことを知らなさそうだ。

ただ、自分が「どうなったら改善されたといえるのか」「幸福といえるのか」「どうなってほしいのか」、具体的にしてと言われると大変に難しい。

友人と話す「素敵な恋がしたい!」「わかる〜」
とは訳が違う。

仏さまを相手に、とはいえ
仏さまが「わかる〜」と相槌を打ったり、「えー、どんな恋がしたいー?」と返事をしてくれるわけではない。

自問自答。
これは禅の世界に近いのかと思った。

いま自分がどういう状態なのか
いつどんなときに困ってるのか
どうなったらうれしいのか、願いが叶ったと言えるのか
ひとつひとつ噛み砕いて、イメージして。
何度も止まって、これくらいかな、と推量して。

じゃあこれいつまでの話してるの?
つぎに祈願に来るまでの期間の話?
それともつぎに控えてるはずの未発表のツアーの祈願もしたほうがいい?(割愛)

眉間に皺が寄りそうだ。

口には出さずとも
これは自分自身のアウトプットの時間なんだと思った。

想像できてないことがたくさんあった。
苦しい、と抱えているだけで、
変わってほしい、と願うだけで、
「どうなったら」とゴールを描くことはほぼなかったことに気づいた。

ふと考えることもある。
ただ、ふとした瞬間に思う、程度で
時間を取って目を閉じて、自分の気持ちを具体化していく経験はあまりなかった。

もちろん仕事では、
KPIがなんとやら、売上をなんとやら、
中長期目標を立てて、具体的に短期に落とし込む、
そんなことを繰り返してる。

私生活で目標を持つことが大事、とは
とあるSNSで目にしたことがあるけれど、
そんな律儀な人間には育っていないので、ふーんとスクロールしてきた。

仏さまの前で、
「願う」でなく「考える」を繰り返したのは初めて。

おそらく、
仏さまの力を借りることはもちろんだけど、
それ以前にことばにすることで自分自身に自覚、認識させたり、
「具体化できたら自分でも叶えられること、改善できることがあるんじゃないの?」と気づいたり。

そういう時間でもあるのかと思った。

これからも目標を立てて、
記録したり、振り返ったりはしなさそうだけど、
それでも今日のように
自分がどういう状態なのか、
どうなってほしいと思ってるのか、
自分の心に手を当てる、想いをことばに置き換える時間は必要だと、そろそろ足が痺れたころに思うのでした。

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