綱渡りをしている
しまった。
そう思ったときには、もう私は細い綱の上にいる。
さっきまで普通に立っていたはずなのに。
私の心がぐらつきはじめると、私は勝手に綱渡りを始めてしまう。
一歩でも踏み間違えたら落ちて死んでしまうような、ひどい恐怖に見舞われる。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
さっきまで地面に立っていたはずだ。
どうして綱渡りをしているのか。
そう自問自答してみるが、どうやら私の足は綱から降りる気がないようだ。
困ったな、と頭を抱える。
頭では
「自分から綱渡りをしている、その必要はないのに」
とわかっていても
心は「綱渡りをるすしかない!もう引き返せない!」という気持になってしまっている。
その綱渡りは本当に必要なんだろうか。
本当に落ちたら死ぬような高いところにあるんだろうか。
客観的に見たら、きっとほんの数センチ上に浮いている綱の上にいるだけなのに。
落ちても死んだりはしない。ぴょんと降りてしまえば、怪我もなく地面に着地できるのに。
それなのに私の脳みそは、高いところに張られた綱を渡っているような気持ちから逃れられない。
ネガティブな人間にとって、自分のことを考える時間というのはすごく多いのではないかと常々思う。
こんなことを考える時間を、もっと生産性のあるものに変化させればいいのに、とよく思う。
ネガティブな人間が、こうして自分のことを考える時間を費やさねばならないのに、ポジティブな人や、健全な人が、それをする必要がないという時点で、スタートラインの違いを感じる。
50m走をしたら、健全な人は真っすぐ走るだけ。すぐにゴールできる。
私は一歩一歩、大丈夫か確認しながら歩いているような感じがする。
そういう時、ひどく悲しい気持ちになる。
私だって、真っすぐ走れる人間になりたかった。
私だって、こんな無意味なことなんかしたくない。
そこから抜け出せないことを、責められるのも苦しい。
綱渡りの上で私は半べそをかいている。
あぁ、どうか。
早くこの綱渡りが終わりますように。