ナオコライフ111 太陽に照らされた道
2023.4.20くり返すって幸せな日々
2時起床。昨晩は夜9時頃から寝ていたので、早起きした。それにしても真夜中だ。コーヒー淹れる。頭がすっきりしている。最近、疲れ気味で今の暮らしについて考えるが、運動不足なとこが否めない。ここをウォーキングとヨガでなんとかしたい。昨日、福祉の担当の方に相談したら、もう今までがんばってきたじゃない、少し休んだらいいわよ、草取りすることは家に貢献してるってことなのよ、といわれた。今のままで充分やっているということだ。多くを望まない、ともいわれた。やはりわたしは求めすぎなんだろうか、と考える。たしかにそうかもしれない。こうやって書くことで体調がいいなら十分ではないか。そんなところで、落ち着いた。
3時半から4時半まで寝る。まだ寝足りない。ぼんやりしている。母も早めに起きてきて話す。今日はごはんゆっくりでいいわね、と。每日が同じことのくり返しだけど、くり返すことができるってことが幸せなんだ。食後にコーヒー淹れて部屋で日向にすわる。陽射しを浴びながら目の前の柿の木が成長した様子を眺める。ずいぶん大きくなった。
母と朝ウォーキングに出た。この時間に母と歩くのは新鮮だ。帰り際、先生が追肥していて、いろいろ植物の話をする。マユミがもう花芽が付いてる、いつの間に、よく見てるのに。見てもらえてるとうれしいなあ、と先生がいう。
そのまま、母とショッピングモールへ買い物にいく。出かけるのは気晴らしになってよい。帰ってきてすぐに冷やしうどんを作る。大根おろしにねぎを刻んでかける。
カフェにきた。今日はいつもと気配が違うよう、よく見ると庭に赤紫の大輪のクレマチスが咲いている。濃い色合いがバラの葉の中で引き立っている。黄色いモッコウバラの枝がしなっているのがすでに見頃で、店に入るときも、店を出るときも迎えてくれる。今日は静かな佇まいだ。
夕ごはんに残りのカレーを食べる。糖質制限でお米を食べてないのでおいしくておかわりする。こんななんでもない、いつも通りの日を幸せっていう。
2023.4.21太陽に照らされた道
4時すぎ起床。コーヒー淹れる。あまりにコーヒーがおいしくて感動する。そんな一日のはじまり。今日もきっといい日になる。カラスが鳴いている。いつもの鳥も鳴き始めた。外はうっすら明るくなっている。今日という日がはじまるのに、怖れをなしている人も世の中にはいるだろうとおもう。そんな人たちが、心安らかに過ごせますように。
緑茶を淹れる。すっかり明るくなっている。リアルとネットの差を考えるより、融合点を設けることをしていこうとおもう。実際、わたしがやってることはなんだと自分に問いたい。隔たりよりも満たされ、時に涙を流すことのある事実を見よう。一年前よりもあなたはわたしの心の中に静かに存在する。
平和に朝ごはんを食べて、片付ける。コーヒー淹れて、部屋の日向の定位置で過ごす。ひとりひとりが太陽の子なんだと、太陽に照らされた道を歩んでいることを願う。
母と買い物へ、途中から別行動になり、わたしは本屋にいって、母を待つためお茶する。いつだってお互いにつきあうのが面倒になり別行動になるのがおち。それでお互いにストレスを軽減してる、得策。帰ってきてすぐ、お昼に。あんかけ焼きそばを作る。おいしく食べて、一息つく。
昼寝する。一時間ほどして起きて、ぼけた頭にパンチを入れるためにコーヒーを淹れる。読書しはじめる。集中しては、音楽聴いたり、座ったり、横になったり、落ち着きない。それでも本を楽しんでいる。わたしは本がないと生きていけない。そして、やはり紙の本がいい。そんな実感がある。本は読み物として本であるし、ものとしても本である。手で触れる対象としてあるということが、体の一部分な感覚を呼び覚ますところがある。本をものとして欲することもある。背表紙にはそんな魅力がある。
夕ごはんに母がアジのたたきをさばき、わたしが切ってねぎと生姜で混ぜた。炒め物も作り、買ってきたわさび漬けがおいしすぎて、くせになる。静岡ならでは。