水道がとまる、そして母娘問題
土曜日のこと。
母がでかけていて、わたしひとり。一度は、出かけようかとおもったものの、外へでたら小雨が降っていた。それで出かけるのをやめた。お昼前、そろそろ母も帰ってくるだろうって頃だった。
トイレの水がおかしい。他の水を確かめた。出ない、ぜんぶ出ない。なにこれ?と思いつつ、頭働かず、そのままにしてたら、じきに母が帰ってきた。
それからがたいへん。どこに連絡したらいいのかしら?とふたりで考え、水道料金表のとこに、水道局の番号が書いてあった。すぐにわたしが電話した。でも、土曜で出ない。ご近所さんは水道止まってないと母が聞きにいった。しばらくしたら、母がかけて通じたらしく、水道屋を紹介してもらっている。すごい剣幕で話している。
水道屋に電話してる。そしたら、また家を飛び出し、少しはなれた近くの工事現場に聞きにいってきた。係の人がいっしよに我が家まできて、話している。どうやら、古い水道管を傷つけてしまい、5、6軒確認に回ったらしく、大丈夫だったとのこと。なのに、少し離れた我が家の水道が止まった。そして、工事現場の方で水道屋を読んでるのですべてやります、とのこと。連絡した水道屋は来てもらわなくて大丈夫ですとのこと。あとは待つのみとなった。
この一部始終を母がぱっぱと頭働かせひとり動いている。そんなはり叫んだような緊迫した声を聞いたり、わたしの存在なんておかまいなしに、ひとりで解決に走る母の様子を見るたびに、わたしの気持ちはげんなりと萎えてくるばかりで、部屋にこもる。ひとりでできるなら、ひとりでやればいい、わたしは、必要ない、役にたたない。いつもそうだ、母が全部先にやってしまう。そして、わたしはできない娘。この時点で泣いたり怒りが込み上げてきている。母が一生懸命なのはわかる。でもね、というところ。なんでもそう、わたしが料理しようとして考えてると、あれとこれで作ってとか先にいってくる始末。おんなじ問題。
とりあえず、ごはんになった。冷凍してあるごはんを温め、納豆と卵焼きを作った。それで、お昼ごはんにした。
わたしは食べながら怒りが込み上げてきていた。この怒りは、もう幼い頃からの積み上がった問題だってわかっている。何かひっかかりがあると、心の奥底から湧き上がってくる怒り。
がんばってくれたのはありがたいけど、結局なんでもやっちゃうよね。わたしはできないよね。じゃあ、できるの?と、母。言い合いになった。離れて暮らさないと自立にならないよね。いっしょにいる限りずっとこのまんまだよね。わかってるわよ、と母。こんな言い合いが続いてた。でも、お互い離れられるものなら離れた方がいいという結論がはっきりした。でも、現実問題それは無理な話で、どうにも現実は動かない。
この怒りは根本的な問題だ。特に長女の宿命。妹たちにはない。しかも、母とは誕生日が同じ。ずっと呪われてるのかと思ってきた。その思いは、だんだん落ち着いてきたけれど。非常事態が起きるともうだめ。心の叫びが出てしまう。
それでも、こうやって生きていける環境にあることを感謝せずにはいられない。こんな障害かかえていて、仕事もできなくて、この状況。母の存在は偉大なるために、壁となっているが、わたしの自立への道は少しずつ開いていっていると、信じている。
こんな母娘問題。読んでくださり、ありがとうございます。久しぶりに問題が起きて、土曜の夜は頭痛がとまらなかった。
今、朝の5時半です。母も起きてきて、いつもの日々が始まろうとしてる。今回は水道のことで、ひとつ前へ進めたと解釈しています。なんで、我が家だけ水道とまって?と思わずにいられないけど、それでよかった。言いたいことは言ったほうがいいから。
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございます。感謝します。
それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。