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食の自由

一杯のコーヒーからは、お休みしたらスタートね、と告げられているよう。いつも考えている、わたしに何ができるんだろうって。やりたいことは、できることとつながっているんだろうか。


今このnoteに書いてること、写真を撮ることは、そのまんまやりたいこと。等身大の自分。体調整えながらの日々。体調悪いと何もできないから、健康管理が先かもしれない。生きてるってこと。


白米から玄米にしたのをきっかけに、腸が活発になり、よく眠れるようになり、お肌がきれいになり、見た目も健康的になっていったようだ。食に関しては、いろんな人がいろんなことを言うから、混乱しがちだったりするけど、その人の生活状況、経済状況によって、できることできないことが分かれてくる。それに食も好き嫌いだから、これはわたしの捉え方だけど。栄養素で選んでも味気ない、それも必要だけど。そしてなにより、生きるために食べる。あれがいいこれがいいと、羅列するよりも、その人の体が求めるものがある。欲するものがある。そっちが基準な気がしてならない。もともと人は偏っている。だからバランスバランス言う。でも、ただバランスを求めて食べるよりも、今体は何を求めているのかを察知したほうがいい。知識で食べるのはおいしくない。


だから、あえて食についてはゆるくいくように心がけている。少しは考える、砂糖や肉の問題など。時代の流れもある。


以前のわたしは、コーヒーをオーダーするとき、必ずと言っていいほどブラックオンリーだった。ここ数年で、ブロックが外れたのか、その時オーダーしたいものを飲むようになった。それだけで、何か解き放たれている。自由になった。自分の中に、選択肢が多くなったと言える。動きが出た。


こんなちょっとしたことが、幸せにつながる。人の数ほど食生活があるから、わたしは何も断定したことは言えないし言いたくない。わたしはこんなですよ、ぐらいだけ。


父と母と


それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。

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