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民藝との出会い、器のぬくもり
ごはんを食べるときに、愛着のある器で食べれたらいいなと自然におもう。そんな健気なおもいがずっと続いている。
民藝との出会いは20代半ばだったか、日本民藝館へ棟方志功展に足を運んだのがはじまり。普段は、東南アジアやアフリカのお面や民族楽器、スカーフや藍染め、そんなものを若い頃から使って親しんでいた。民藝とは意識せずとも、民藝の入口に立っていた。
30代後半、民藝の器とのきっかけがやってきた。
雑誌『nid ニッポンのイイトコ ドリ を楽しもう。vol.30 民芸はあたらしい。』
との出会いだった。この雑誌は日本の民藝品など、暮らしまわりのものから、衣類、雑貨、国産にこだわった品々が掲載されていた。それで出会ったのが、津端修一•英子夫妻の自給自足生活に長年使われた、松本民芸家具と砥部焼を取り上げた巻頭の記事だった。ご夫妻の本はたくさん出ているし、映画化もされている。それで、父に雑誌を見せたら、地元の松本民芸家具のお店へ連れてってくれた。なんと砥部焼がたくさん置いてあって、あのときの感動は忘れない。そこで、初めての民藝の器を選んだ。まずは、よく使うものから。
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もう10年選手。朝のコーヒーに。砥部焼はとにかく丈夫でだからこそ、歳を重ねても使っていけるだろうという安心感がある。砥部さえあればと、おもうこともある。この安心感にまさるものは他にはない。それに、コーヒーは砥部が一番おいしく感じる。
民藝の器にはいくつか条件がある。その中に、
無銘性 : つくり手はあくまでも職人であること
とあげてある。ここに民藝の魅力を感じる。職人であって作家ではない。だから、民藝の器には底に名は入れない。職人の中でも秀でた人は自然に名が世へ出る場合があるけれど、かなり特別だ。それでも、底に名は入れない。こんなところに清潔感を感じるのはわたしだけだろうか。作家物はあまり受け付けないのは、手あかでべたべたした感じがしてしまうから。わたしは潔癖症だろうか。ここに民藝の職人の中でも注目されている小代焼ふもと窯井上尚之の器を取り上げたい。秋冬にかけて、ほうじ茶にぴったりのカップ。これからそんな心も体もほっとあたたまる季節がやってくる。この器の存在がぬくもりを感じさせてくれる。
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それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。