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ジャパンブルー藍のある暮らし

おはようございます。ナオコです。

先日、自分に休憩をと思いながら、久々の静岡市へ行ってきました。本当は、この投稿は諦めようかと思いました。私には難しすぎるから、書かずに他の投稿を続けていたのですが、でもやはり自分の目線で書ければそれでいいのでは?という心境に至り、書くことにしました。

静岡市立芹沢銈介美術館
「ジャパンブルー   藍のある暮らし」

突き動かされるような気持ちになって行ってきました。藍はとても親しみを感じる色だから。私の部屋には、久留米絣の藍染めの端裂がいつも額に入れられ、眺めるのは日々のことです。この私の額のせいというより、もっと根源的なことな気がするのです。

数々の藍のものを皆さんにもご紹介したかったのですが、撮影が許されていたのはここまででした。

まず最初に芹沢銈介さんの作品が展示されてました。ここへきたのはたぶん10年ぶり以上なくらいです。前は、父と一緒にきた記憶があります。その時の感覚はまったく覚えてなくて、ただポストカードを買ったのです。
この日は、今鑑賞できる幸せをかみしめながら、過ごしてました。私にはそんな多くの言葉は持ち合わせていませんが、すべての作品から立ち昇ってくるのは、人間の気品というものでした。そこに圧倒されました。

そのまま、ジャパンブルーの展示へ。芹沢銈介さんの収集品です。藍の美しさ、そして模様の大胆さに惹き込まれました。

日本人はなぜ藍なのか?

そんな疑問をずっと抱いてきました、どうしてこんなにも親しい色なのか。この日、会場での最初の言葉を読んで、私は少し難しく考えすぎていたのかもしれないと思いました。江戸時代に庶民の暮らしの中で、様々な生活必需品、着物、足袋、手袋、手ぬぐいなど、使っているものが、藍だったのです。藍ばかりだったから、暮らしに浸透している色だったのです。もしかしたら、遺伝子が憶えているのかもしれません。

そんな藍の着物がたくさん並んでました。これを着た男性たちはどんな様子だったでしょう。女性たちはどんな様子だったでしょう。きっと美しかったはずです。

そして、何より身近に感じたのは、やはり刺し子です。自分も刺していたからよけいに、庄内刺し子の模様にぐっと惹かれます。刺し子の展示になったとたんに、別の会場へ来たかのようで、私の気持ちは上がっていき、それだけ、特別な思いを強く感じました。野良着だから、それもあります。私も農業の時に農作業着を、野良着や作務衣を意識して、ダンガリーシャツや紺のパンツ、紺のエプロンにしていました。この意識の仕方ってどこからやってくるんでしょう。不思議です。こんなふうに、展示を観ながら、自分の暮らしが交差していきます。

藍を使い続けたいです。まずは、日常に使うこと。そう思い、芹沢銈介さんの御滝図手ぬぐいを買ってきました。今、白湯を入れたポットの下にひいてますが、伝統を守っていくには、使いながらこの目に焼き付けて行くことだと、自分にできるのはこれくらいです。できる範囲でやっていければいいし、それが何よりです。

いい展示に足を運べて、また心を動かされきっかけをいただきました。

ありがとうございます。


その後、静岡市街へ。最初の目的は、ジャズ喫茶でサンドイッチとコーヒーを、と思って向かったらタイミング悪くお休みしてました。ふと見たら、お隣は老舗の蕎麦屋さん。さっと入ったら混んでいて、ひとつだけ席が空いていて座れました。ちょうど床の間の前で、今日はここで正解と思い、おいしくいただきました。

私が行くとこといったら、本屋さんくらいで、服とかまったく見もしないです。地元にはない大きな書店に。
ドミニック・ローホー
「人生で大切なことは雨が教えてくれた」

を購入しました。ずいぶん前から気になっていた本なので。

いつだって、どこ行っても同じことしかしてないなあと、自分に飽きれてしまいましたが、人間そんなものかもしれません。詩人の長田弘さんが、やめなかったものが残っていくもの、というようなことを書いていたのを記憶してます。きっと、そうですね。

充実した旅でした。
たまにぶらっとが欲しいです。


今日は長く読んでくださり、ありがとうございます。

それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。



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