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ないものねだり

表現についてだなんておこがましいけれど、どんなときに生み出されるものがいいのか少し考えた。求めるのは、極めて自分らしくあるときに発せられること。単純にその人本来の姿でいるのがうつくしいってことにつきる。表現なんて、かたくるしく言ったけど、どんなときも、話すときとか、言葉や声のトーンや表情や、そんなふつうに行われていることだって、うつくしさを感じることってある。それは無理をしてないことだったり、ナチュラルだってこと。所作のうつくしい人はいいですね。それは、積み重なった時間を感じたりする。


わたしはどこのお店でも会計のときに、お店の人のお金に対する所作はよく観察している。それで、店の良し悪しを決めたりもする。そんな何気ないところに心がでる。だから、支払うわたしも同じく気配りを忘れない。会計は大事な時間だ。そこで過ごした時間や、買い物の価値が変わってくる。だから、お金は好きな店でおとす。好きな店はひいきする。まあいっかここで、という日もたまにはあるけど、確実失敗しない店というのがあって、そんなお店とご縁を持てたというのは喜びだったりする。


結局、最後は人と人とのつながりなんだろうとおもう。あの人がいるから、またあの店行こう、そんな気持ちになるのが単純に明快だったりする。提供することとお店の人はセットだから。こんなとこにけっこう敏感になったりするのは、自分が接客できない人間だから、単純にすごいなあとおもってたりすることがよくある。なんでこんな時に咄嗟にこんな言葉が出るんだろうとか、感心したりすること多い。やっぱり、ないものねだりなのかもしれない。



それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。

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