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器と記憶
おはようございます。お元気ですか?
ナオコです。
昨日は私の器のベースな気持ち、聞いていただき大変感謝します。ここまで正直に話すのは勇気がいりました。だいぶ時間がかかりました。お話できてよかったです。
器と記憶。今日のタイトルですが、このふたつは切り離せない大切なことだといつも感じています。
子供の頃にさかのぼりますが、祖父と祖母の記憶が深く根付いています。昔のことを聞いたのは、30代に祖母から聞いた話が多いのですが、お話させてもらえますでしょうか。
生まれ育った家は、祖父と祖母が建てた家でした。会社を始めた祖父は、何でも自分でやりたがるところがあり、設計などやったことないのに、自ら設計し家を建てたのです。祖父は旅館が大好きでした。それが高じて、家も旅館みたいな造りになっていました。幅の広い縁側があって、テーブルに椅子が二つ向かいあって置いてあって庭を見ながらくつろげるようになってました。トイレも独特でした。厠風でした。この家について話し出したらきりがないので、ここで説明は終わりにしますが、旅館風は家だけでなく、会社のお客様も多くいらっしゃったので、ごはん食べたり飲んだり、泊まっていかれたり、とにかく祖母は大変だったと思います。仲居さんと料理長を掛け持ちしていたようなものです。
こんな時代が我が家にあって、その頃に使っていた器ははっきり記憶に残っているわけではないのですが、少しは今残っていて、やはり磁器なのです。我が家のルーツは磁器です。父と母と私で三人寄ればよくわかります。
磁器が普通に、馴染んでいる家庭です。陶器は父も私も買いますが、私はまだ気持ち乗っている感覚があります。不思議ですね。
磁器は平常心、陶器は冒険心というところでしょうか。
誰の中にも、家族のルーツはあるかと思いますが、とても根強いですね。そこを知ることは個人的におすすめします。受け入れることができなかった自分自身の部分を、受け入れる素直なきっかけがあると思います。
そこで、
初めての民藝のコーヒーカップはこちらです。
砥部焼梅山窯カップなずな
毎朝の一杯をいただいてます。 もう使い始めて8年ほどになります。大切なカップです。やっぱりあるのですね、ルーツは。
陶器についてですが、自然に手に取って使う感覚になるものと、少し気持ち引いてしまうものがあるようです。
この焼締めの平皿は日常使いです。
我が家は、
磁気も陶器も仲良くいっしょに。
こんな感じです。というか、私が料理したときは二つの質感が混ざり合います。母のときは、磁器ばかりになりますよ。様変わりです。あまりのセレクトの差に驚きます。こんな日々です。
記憶って深いですね。
今日はそんなお話でした。
とにかく人生楽しみたい、に尽きます。そんな私にお付き合いいただきましてありがとうございます。
それでは、またお会いできますように。ありがとうございました。