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ナオコライフ②9 夏真っ盛りになり

2023.8.7

四時過ぎ起床、だいぶすっきり眠れる。こんな朝はいい。換気扇をつけて台所の空気をまわす。気分がいいわりには、言葉は出ない。タロットを引く。「審判」のカードが出る。復活を意味する。人生のターニングポイントとなる、喜ばしいカード。目をつむると残像が残る。近所の道端の紫式部の花がだんだん紫になりつつあるのが見えた。前の家で育てていた花。

今日は伊豆のおばの家へ。朝から母の車に乗り、峠を越えてゆく。遠くからきたおじも待っている。おじとは四年ぶりに会う。さっそく、話して休憩したら、四人でお墓参りへ。こんな何気ない時間て貴重なんだと思う。いつまた元気に会えるかとか考えてしまう。おばが案内してくれた手打ちうどんの店へいき、前菜も楽しみゆっくりいただく。それから、家に戻りおしゃべりに花が咲く。三人は兄妹の関係だから、久しぶりに三人そろってよかった。わたしはおまけ。


2023.8.8

宮地尚子『傷を愛せるか』より、

宿命論と因果論の対立はじつは擬似的なものだ、というふうに彼の議論は続くのだが、難解なのでわたしに要約する力はない。ただ、宿命論と因果論はたしかにどちらも、トラウマをあつかう場面や、広く医療現場全般において、よく使われていることに気づく。事故や重病にみまわれることに理由はあり、同時に理由はない。回復するかどうかは努力次第であり、また運次第である。過去を受け入れ、同時に未来への希望を紡ぎつづけるには、おそらくほどほどの無力感=宿命論と、ほどほどの万能感=因果論を抱え込むことが必要なのだ。両方を共存させ、納得しやすいほう、生きていくのが楽なほうを、そのときどきで都合よく使いわけることが重要なのだ。

『傷を愛せるか』

ここを読んではっとした。もしかしたら、わたしは両方を共存しつつあるのかもしれない、と。ここまで回復できたことをどうやって説明したらいいかわからなかったけれど、読めてよかった。同じようにトラウマや病を抱えている方に、この部分をぜひ読んでいただきたい。

夕方から妹家族が遊びにきたけれど、急に不調になったわたしは、頭痛と吐き気に見舞われ、ろくに話もできず、皆が夕ごはんを食べにいくのにもついていけず、ひとり母がつくってくれたおかゆを食べた。じきに、皆帰ってきていっしょにくつろぐ。おいっこはラップを流し、悠然としている様子。お土産のおせんべいを食べられるほどに回復した。皆それぞれに過ごしていて現代らしき風景。


2023.8.9

皆が寝ているうちに、母と二人で朝ごはんを。じきに妹が起きてきて朝ごはんを食べながら話し込む。いつだって、音楽話。美容師の妹に母とわたしの髪をカットしてもらう。手に職あるたくましさを感じる。二人そろってさっぱりしたところで、お礼のコーヒーを淹れる。そのあと、妹とタロットやろうといって、部屋に上がって話をはじめる。何もないかも、といいながらも、やっぱり、、といいつつ、ぽつぽつと妹が話しはじめ、二人で語り合う。妹の体験がわたしの体験のような感覚になる。なんだかタロットっぽくないなと思い、オラクルカードを三枚出すことに。ガイドブック読んでいたら、そうそう今そんな感じ、と妹が。それでまたいろいろ話しはじめる。カードがきっかけになり、話が続いていく。こうやって、コミュニケーションを取るのがいい結果に。あえて話題になりにくいことが問題となる。終えて、お昼にパスタをつくる。午後二時までだらだらと皆で過ごし、昨日行けなかったお墓参りへ三人が出かけていった。小雨降る中で。




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