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ナオコライフ126 久しぶりにターシャを読む

2023.5.20久しぶりにターシャを読む

4時前起床。コーヒー淹れる。少し肌寒い。読書する。読みかけの本をどうしても最後まで読みたいので、ちびちびと読んでいる。そんな早朝も悪くない。白湯を飲む。母が起きてくる。ナオコが起きたときわたしも起きてたのよ、といっている。母はわたしとちがって、布団の中でじっとしている。それだけ休めているということ。透き通るような声で、ホーホケキョ、と鳴いている。今日がはじまる合図。なすの味噌汁をつくる。それと卵焼き、納豆。玄米炊くのを忘れ、白米たべる。

今日は小さい図書館の返却日。雨あがりの朝、気持ちよく出かける。前から気になっていた作家をえらび、さっそく4冊借りて、モールのカフェへ向かう。クッションの効いたゆったりした椅子に座り、読みはじめる。居ても立っても居られないで、手に取ったのは、食野雅子『ターシャ・テューダー人生の楽しみ方』。ターシャについての本を読むのは久しぶりのこと。勇気づけられる言葉がたくさんのっている。「私は社会通念より自分の価値観に従って生きてきました。」「近道を探そうとしないこと。価値のあるよいことはみな、時間も手間もかかるものです。」「何でも、やればやるほど上達します。」「最初から恵まれすぎているより、足りないくらいの方がいいこともあるわね。」ね、ターシャ流。

読書の後、少しモールを見て回り帰宅する。母がうどんと太巻きを用意してくれていた。太巻きを買うなんてめずらしいね、夕飯にお金かかってないからよ、と。しっかりやりくりして考えられているのだった。しっかり者の母。おいしくたべて、もう自転車のってくたくたに。

少し休み、ターシャの本を読む。驚くのは5歳から庭仕事をやりたいとおもいはじめていて、最期まで貫き通す、その幼くして見通しているようなぶれなさ加減、芯の強さは一体どこからくるのだろうか。とにかく、とりあえずやってみましょう、これがいい。

玄米を炊く。今晩は麻婆豆腐に花椒をたっぷりかけて、小松菜のおひたし、玄米。あとで、妹に電話しようと思う。



2023.5.21スマートフォン帰ってくる

4時半起床。コーヒー淹れる。ぼんやりする。朝から釈然としない。清々しくない朝。原因はわかっているのだ。究極は自分がどうしたいかであって、それでいいとおもう。じゃあ、どうしたいのか。ああ、釈然としない。読書する。母が起きてきて、父母わたしの三人分の緑茶を淹れる。父にはお供えする。二人で台所に立つ。味噌汁、卵焼き、大根葉炒め、納豆、玄米。直感力を鍛えるためには、あまりお腹いっぱいにならない方がいいらしい。確かに集中力が鈍る。あとは間食の問題。情報も同じだとふとおもう。ありすぎるとわからなくなるから。選択肢の多い時代だからこそ、注意が必要。今、今、今、何をしたいかを考える。

携帯ショップでスマートフォンの修理が完了する。とりあえず、一安心。

いつもと違うカフェにきた。コンフォートゾーンを抜け出すためには、少し緊張する場所へ足を運ぶのも手。でも、テラスの席が空いていて、緑たっぷり鳥も鳴いていてすっかりくつろぐ。ごはんがおいしくて。

本なんて読みたくなくなってしまうくらいに、風に吹かれて眠くなってくる。すっかりゆっくりできた。

自転車にのって帰宅する。スマートフォンにスピーカーを接続して快適に音楽を聴く。力がぬける。昼寝する。そして寝起きのコーヒーを淹れる。スマートフォンが元通りどころかぴかぴかになって帰ってきた。これがないとやってけないわたしは、手の中に収まることにすっかり安心する。わたしのだ、代替機ではない。ああ、安心する。

すっかり曇ってきた。いつもとちがう日曜日。コンフォートゾーンをもっと抜け出すために、苦手な外食を少し増やすことを決意する。カフェより、レストランやごはん屋さんとかでランチしよう。緊張感に耐えられるようになるために、知らない店へ足を運ぶ。それも経験だから。これも治癒のうち。いつの間にかひとりで外食がむずかしくなったのをなんとかしたい。

午後5時前、早々に夕ごはんの支度をはじめる。キュウリスティック切ってバーニャカウダをつけて、つまみ食い。鶏もも肉焼、ピーマン玉ねぎ炒め、残りのふろふき大根。母がごはん前から咳が止まらなくなり、散歩で急いで歩き過ぎること、くよくよ悩むことが問題にあがる。わたしから見てると、なんでも深刻に捉えすぎて自分で追い込んでいる。もう少し軽くなってもらいたいけれど、できないの一点張り。家族はこういうときなにができるのか。









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