ナオコライフ41 可能性のある世界
いい文章と悪い文章ってあるかな。あるとしたら、どう違うのだろう。わたしには経験が少なくてわからない。ていねいな文章と雑な文章はわかる。ここから続かないくらい、わたしは未熟。自分で書いてることがよく判断できない。
書くことってなんてむずかしくって、でもなんて楽しいのだろう。あまりのわからなさ具合に妙にわくわくする。だって、上達のしがいがあるかもしれないから。
いい文章書きたかったら、たくさん本を読むのが大事なことはなんとなくわかる。それから、自由に出かけていったらいいし、いろんなことに関心をもつのも大事。でもね、わたしは、と、ここで障害のことを出そうとする。確かにそれも事実なんだけど、それを理由になにもしないのはどうかなとおもう。なんだか今日は大胆に書いてる気分でノっている。
わたしの役割ってなんだろうって、いつも考えてる。いろいろと上げてみるけど、未来のことはわからない。そして、自分がおもってる自分と、人がおもってる自分は違うから。
体現したいんだってことは、わかってる。こんなわたしでも本来のわたし自身でいることで、解放されたい。みんなが本来のわたしでいるところを夢見る。そうすれば、なんの抑圧もなく、精神的に平和な世界になるだろう。それがうれしいこと。
小さな小言もなくなる。どれだけいいかな、そんな世界は。まずは母とのことを実践してみよう。