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ナオコライフ116 每日が平日な暮らし
2023.4.30庭の恩恵、植物はやわらかい
4時半起床。コーヒー淹れる。今朝は落ち着いてるとおもうが、雨が降っているのでそう感じるのかもしれない。ため息がでるほどに、雨音が心地よい。心の憂いを流してもらいたい。わたしは一体何を求めているのだろう。求めることって定めることなのか、それとも、流れるままに自然に成ってゆくことなのか、よくわからない。雨が激しく降りはじめた。ぼつぼつと音がする。風もごーごーと唸っている。わたしは求めているのを知っている、涙が落ちるところに真実があるから。知っている。
母と朝ごはんの支度をする。目玉焼きにレタスとピーマン炒め、フルグラを食べる。静かに世間話をしながら。コーヒーを控えて、白湯ポットをもって部屋へあがる。部屋の額に入っている包帯を巻いたゴッホの絵を見ておもう。何をおもって絵を描いていたのだろう。やはり切迫したおもいがあったのだろうか。ただ、この絵がここにあるだけでわたしは落ち着き、過去を一瞬ふり返り、今を受け容れる。相変わらずの激しい雨。
しばらくして、雨がやんだので窓を開ける。鳥の鳴き声がピヨピヨと聞こえてくる。わたしも気分が晴れる。庭に出て、柚子の花が咲くのを仰ぎ見る。通路にはヘビイチゴがいくつもなっている。無味無臭のイチゴ。
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もう一本の椿の剪定をしなくては、と庭仕事の見当をつけて、おまけにツツジも花が終わってきた。庭が、植物がいつも助けてくれているのは、どれだけの恩恵なんだろう。やっとコーヒーを淹れる気になる。
昼ごはんにベーコンが残っていたのでナポリタンを作る。食後に甘夏を。麦茶を飲みながら、台所特集の雑誌をぺらぺらとめくる。また雨が降ってきた。
ほどよく雨がやんできたので、カフェにきた。あれだけの雨だったのに、バラはそのまま生き生きとしていて、先日よりも華やいでいる。植物はやわらかい。しなっている。
帰宅して、母が作ってくれたごはんを食べる。肉じゃがとかカレーって同じもの使っても人によって変わるよね、と料理の不思議さを話す。
2023.5.1每日が平日な暮らし
3時過ぎ起床。さっそくコーヒー淹れる。しばらくぼんやりとしている。白湯を飲む。読みかけの、土井善晴『おいしいもののまわり』ちょうど栞をはさんであったところが、「包丁するという調理法」であった。包丁するとは、切る以外の意味を含んでいるという。刺し身を造るとき、誰が切ったかで味が変わる。そして、寸法を決めるのは食べる人をおもっての食べやすく、うつわとの調和をふまえた大きさを判断すること、という。父が体調が悪くなったとき、切り方に気を配っていたけれど、それは愛なんだと、料理することは愛なんだとおもう。わたしはまだまだ包丁することが身についてない。これからも、料理は続けたい、精進したい。
母も早くに起きてきて、ごはんはゆっくりでいいわね、といってごはん炊いている。炊きおわり、朝ごはんに。具沢山の味噌汁に卵焼き。朝が早すぎて、目がしょぼしょぼしている。
今日はやる気になっている。マーマレードジャムを作りはじめた。出来上がったら妹に送る予定。細く切って、3回茹でこぼし、グラニュー糖を入れてコトコト煮る。こういう時は、音楽を消す。コトコトを聴く。
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出来上がり。
お昼におろしがけ冷やしうどんを食べる。我が家はよくうどんを食べる。いや、うどんに逃げる。白湯を沸かし、部屋でゆっくりする。静かな午後の住宅街。GWはあってないようなものだ。毎日が日曜日ではなくて、每日が平日だ。ぐるっと近所を一周してきたが、だれもいない静けさ。一体皆さん何処へ?今日はめずらしく時間をもて余す感覚になり、『暮しの手帖』のバックナンバーをパラパラとめくる。いつかレシピのスクラップファイルを作りたいけど、まだ切り取るのが忍びない。
夕ごはんに回鍋肉、残りの肉じゃがを食べる。なんでもないごはん。